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そうしてあげよう
マタイ8章1〜4節

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。(3)

 この「重い皮膚病」の男のきよめの記事から聖書で言う「救い」について学びたいと思います。
 旧約聖書の中には罪のゆえにこの「重い皮膚病」にかかった人々が取り上げられています。ミリアムは、神が弟モーセを用いられたときにそのことをねたみました。人が用いられ、褒められるのを快く思えない。ねたみは他人も自分も滅ぼします。
 次に出てくるのは、エリシャの第一弟子であったゲハジです。本当に高潔な神の人の弟子も貪欲の奴隷でした。「欲」は恐ろしいものです。わずかな物を手に入れるために、平気で嘘をつき、人の命を奪います。しかし、やがて蒔いた種は刈り取らなければならなくなります。
 もう一人はウジヤ王です。彼は16歳で王位につき、へりくだって神に仕えました。そのために彼は領地を回復し、国はめざましく発展しました。ところが、彼は傲慢になり、人の忠告にも耳を傾けず、神の前に自分のありのままの姿を認めようとしない。神に干渉されることを嫌うようになる。これが「罪」です。これは私たちの問題でもあります。

見込みはあるのか――主のみこころ
 では、このような恐ろしい、汚れ切った私に神に喜ばれる生涯が可能なのだろうか?主は言われる、「そうしてあげよう」と。「私も、そう思う。私の意志もそこにある」。罪の中に留まる生涯は、神のみこころではありません。人が神に喜ばれる生涯を送ること、充実した人生を送ること、神と人のために生きること、心から感謝と賛美の生涯を送ることは、神のみこころなのであり、神にはそれがおできになります。

手を伸ばされる主
 マルコは「イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり……」と言っています。この「憐れみ」の主は・・・
@神の御子は、私たちの罪を身代わりに負って、呪いを受けるために、この世に来てくださいました。
A主イエスは苦しみを忍び、時には涙して祈り、また罪人を捜して訪ね、自分を与え尽くし、罪に汚れ、苦しむ人々の救いのために、その生涯を費やされました。
B十字架上の業。主イエスは人間の罪のゆえに十字架につけられましたが、神は、三日目にイエス・キリストを甦らせ、その十字架と復活によって救いは完成しました。そのようにして、「そうしてあげよう!きよくなれ!」のみ言葉が実現したのです。今朝あなたもそうしていただこうではありませんか!


    
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