高価で純粋な香り
マルコ14章1〜11節
この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう。(8〜9)
主イエスは十字架を前にしてベタニヤにおられました。ひとりの女性が小さな石膏のつぼをもって入ってきて、非常に高価で純粋なナルドの香油を主イエスの頭にそれを注ぎかけたのでした。「もったいない」「無駄遣いだ」と人々は言いました。けれども主イエスはおっしゃいます。「わたしによいことをしてくれたのだ」。
1 時にかなったささげもの
ささげるべき時があります。主イエスにこの香油を注ぐのは今しかない。ささげるのにも、従うのにも時があります。従うのは、主にささげるのは今なのです。
2 できる限りの最高のささげもの
彼女はできる限りの最高のささげものをしました。主が喜ばれるのは、全部ささげることです。あのこと、このこと、気にしだしたらキリがない。でも、心配することはあなたのすることではなく、神さまのすること。あなたのすべきことは全部神さまの手に委ねることです。神さまはあなたにできないことを求めておられるのではありません。「できる限りの」精一杯、高価で「純粋な」ささげものをおささげしたいのです。
3 主イエスへのささげもの
主は、主のみ思いを知ってささげられたささげものを喜んでくださる。主イエスは彼女のささげものを「葬りの用意」と言ってくださいました。主イエスが捕らえられてむち打たれた時、血が流れ、血なまぐさいにおいがそこに満ちる、人々の罵詈雑言がこだまする。しかし、そこにナルドの香油のかおりがしたかもしれない。主イエスの十字架の場面で、人々が「十字架から降りてこい、そうしたら信じてやる」と主イエスをあざけるとき、そこに不思議な香りがする。このナルドの香りは十字架の道を歩まれる主イエスをきっと慰めたに違いありません。主イエスはおっしゃいます。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたことも記念として語られる。この女のしたことと同じようなことが起こってくる。
しかし、一番、「無駄だ」と言われるようなことをしてくださったのは、罪人の私たちを愛し、私たちが救われるために、人になってこの世に来て、そして、十字架にご自身をささげてくださった主です。だから主イエスは、無駄だ!と言われるようなささげものをする人を、わたしのためだ、と喜んでくださるのです。
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