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この世に輝こう
ピリピ2章12-18節

錦織 博義 師

それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(15)

 神は御子を遣わして私たちをこの世から救い出された。そして「あなたがたをこの世に遣わし」ておられる。

1 この世に輝く生き方とは?
 パウロは「すべてのことを、つぶやかず疑わないで」という。イスラエルの民が約束の国カナンの地に向かって行った時、「こんな苦しい目に遭うようならば、エジプトから出ない方が良かった」とつぶやいた(出エジプト16章)。つぶやきは神に対する信頼や感謝の心を失う中で起ってくる。このつぶやきに打ち勝つ秘訣は、神から目を離さず、神に信頼し続けることである。
 次にパウロは「疑う」危険について語る。多分教会内に不協和音があったのだろう。傲慢や無知はしばしば不毛な議論を引き起こす。まさに「つぶやき」は神への疑いから生まれるのである。

2 この世に輝く生き方の目的
@「責められることのない純真な者となる」ことである。言葉においても行いにおいても、他人を傷つけず、また心に不純なもの・悪意や利己的な動機が混ざっていないことである。
A「曲がった邪悪な時代のただ中にあって傷のない神の子となる」ことである。そこには戦いがある。
 それは第一に素直さの欠如・世俗主義との戦いである。この戦いに負けると、聖日も普通の日となり、「主の日」も「主の日」でなくなる。聖書も「普通の本」となる。曲がったこの邪悪な世の中では、ただ神の力によって神の子とされる他ないのである。
 もう一つは、私たちが「神の子」とされたということは、神をほめたたえるためであるということである。神をたたえ、神の栄光を表わす生きた生活のないところでは、命は生まれてこない。
B「命の言葉を堅くもって、彼らの間で星のようにこの世に輝く」ことである。「命の言葉」というのは、「命を与える言葉」ということである。
 闇夜のような世界にあって、困っている人がたくさんいる。彼らのために、星のように輝くのが、神の民の務めである。暗い世界にいのちの言葉を指し示そうではないか!

3 この世に輝く生き方の結果
 「無駄ではなかった」、否「誇る」というのである。審判に際して誇るものがあるとすれば、神の恵みの勝利に他ならない。また「無駄ではなかった」は、彼の救いに役立ったというのである。そこには、謙虚な勝利がある。その時に「世に輝く」のである。


    
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