光なるキリスト
ヨハネ1章1〜18 節
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 (9)
主イエスは光としてこの世に来てくださいました。
1 まことの光
主イエスはまことの光です。「偽り」の光があります。まるで光のように見えながら、実はそれは偽物であったり、また私たちを生かし、照らすように見せながら、実は私たちが近づくと消えてしまったり、近づく人を滅ぼしてしまうようなまがい物の光もあるのです。まるで虫を集める紫外線の蛍光灯のようなもので、虫が引き寄せられて近づくと焼かれて死んでしまうのです。
主イエスはまことの光です。いつも輝き続け、暗いところは一切ありません。このお方はまことの光です。
2 すべての人を照らす光
このお方は、人の光であり、すべての人を照らします。私たちの世界ではスポットライトが当たる人と当たらない人がいます。しかし、このお方はすべての人を照らします。このお方の光の当たらない人はいません。主イエスはあなたをも照らします。いろいろな悲しみや苦難・試練の中にある人をも照らすのです。
3 闇をてらす光
主イエスは闇の中に来てくださいました。暗黒・暗闇と言われているようなガリラヤにやって来て、照らしてくださいました。そして主イエスが訪ねられたところは光に変えられていきました。光は闇の中に輝いている。そして光をおおってしまうのではないかというような暗い現実の中にあってもこのお方は輝きます。
主イエスの光で照らされると、確かに、私たちの闇が分かってしまう。罪が暴かれてしまう。けれども光である主イエスは単に、私たちの罪深さを明らかにするだけではありません。この光で照らされると、照らされた闇が光に変わってしまうのです。
主イエスご自身はおっしゃいました。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ」(ヨハネ8:12)。この聖句は姦淫の現場で捕まえられた女とのやりとりの後に主イエスが語られた言葉として書かれています。姦淫の現場で捕まえられた女と、その女をだしとして、利用して、主イエスを貶めようとする宗教指導者たち・・・まさに右も左も闇に覆われているような中で、主イエスは、「わたしが光だ」とおっしゃったのでした。
光である主イエスが来てくださいました。どんなにあなたを包む闇が、またあなた自身の中にある闇が深かったとしても、主イエスはあなたを照らします。主はそのようなお方として来てくださったのです。
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