復活の知らせ
マルコ16章1〜8節
驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。(6)
主イエスは私たちの罪を負って十字架で死んでくださいました。そして主イエスは墓に葬られました。
1 非常に大きな石
主イエスが十字架で死なれたとき、人々は大きな悲しみに心ふさがれ、うちひしがれ、うつむいていました。女たちは週の初めの日の夜明け頃、主イエスの墓に向かっていました。死という大きな力は神の子さえも覆い尽くして、誰もその現実をかえることはできない・・・そのように思えたことでしょう。マルコは「その石は非常に大きかった」といいます。
私たちの歩みの中にもそのような大きな石が私たちの希望や期待を打ち砕くかのように、私たちの行く手を遮っているような思いになることもあるかもしれません。罪の力、死の力はあまりにも大きいのです。
2 目を上げると
けれども彼らが目を上げて見ると、石はすでにころがしてありました。彼らはイースターの朝、主イエスがよみがえられてからもまだ悲しみの中にいます。主イエスがよみがえられているにもかかわらず、まるで主イエスがまだ死んで墓の中に閉じ込められているかのように、悲しんでいるのです。しかし、彼らが目を上げて見ると、その非常に大きくて、誰も動かすことができないように見えた石が、見事に転がっていました。目を見上げてください。主はすでに罪と死の力を打ち破ってくださったからです。
3 主はよみがえられた
主はよみがえられました。イエスさまはずっとそのことを言っておられたのです。十字架の予告をなさるときには必ずよみがえりのことを語っておられましたし、よみがえったら先にガリラヤに行くからね、とおっしゃっていたのです。主は約束しておられたように、よみがえられました。
御使いは女たちに言いました。今から弟子たちとペテロのところに行って、こう伝えなさい。ペテロは十字架の前に、主イエスのことを三度知らないと言っていました。ペテロは自分のふがいなさに泣きました。しかし、主はペテロのことを見捨てず、心にかけていてくださったのです。主はこの朝、よみがえって、あなたにも声をかけられます。死の力がどんなに強かったとしても、また、私たちが罪の力の前にどんなにふがいなかったとしても、主は罪と死の力に打ち勝ってくださいました。主はよみがえられたのです。
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