キリストの香り
Uコリント2章12〜17節
しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。(14〜15)
コリントの教会は実はいろいろな問題を抱えていて、パウロの心の痛みであった教会です。パウロは何度もコリントを訪ねたり、手紙を書いたり、また使者を送ったりしてきました。まさに気が気でない・・・それがパウロがコリントの教会に対してもっていた偽らざる心境でした。
けれども、そのようないろいろな問題を抱えつつも、パウロはなおもコリントが主の聖なる教会であり、そこにあるのが聖なる民の群であることを知っていたのです。中央教会もいろいろな問題や課題を抱えているでしょう。でも、それでもなお、この教会はキリストの教会であり、またキリストのかおりのかおる教会なのです。
1 キリストの凱旋に加えられた私たち
パウロは、しかるに神は感謝すべきかな、と言います。キリストが勝利の凱旋をしておられる、その行列に、わたしも加えられている。
もともとは私たちは神の敵として生きていました。けれども、こんなに主に背いて、自分勝手な歩みをしてきた私を主イエスは勝ち取ってくださった、主の敵であった者が、主に従う者とされた。
十字架の上で、私たちのために救いの道を成就し、死を打ち破ってよみがえられたお方によって、わたしたちも捕らえられ、救われて、キリストをあがめる行列に加えられているのです。
2 キリストのかおり
行列に加えられた私たちは、キリストのかおりを放っている。その香りをかぐと、キリストが分かってくる。キリストを知る知識のかおり。そしてそのかおりは「いたるところで」放たれている。町でも職場でも学校でも家庭でも、どこでも、私たちがいるところにキリストのかおりが放たれ、私たちに接する人たちが、キリストを知るのです。
3 かおりの効果
このかおりですが、人々を一つの決断へと導きます。決断の場へと立たせるのです。それは主イエスを信じ受け入れるか、または拒むかという選択です。パウロは言います。いったい誰がこのような任務に耐ええようか。無理!と思います。しかし、私たちはこの大きな使命を神から与えられているのです。真心をこめて、主に仕え、御言に生き、御言を証しするお互いでありたいと思います。
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