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献げ切った人
ピリピ2章25〜30節

使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。 (使徒行伝5章41節)

 ピリピ教会は、パウロが福音のために牢獄につながれていると聞いて、教会員のひとりであるエパフロデトをパウロの許に送った。ところが残念なことに、エパフロデトはあまり熱心に仕えようとしたためか、病気になり、瀕死の状態にまでなった。 その事を伝え聞いたピリピ教会員たちは、複雑な思いで非常に心配していた。しかし、エパフロデトはピリピ教会の人々に対してとても心苦しく思っていたのだった。

問題の解決法
 『彼は実に、瀕死の病気にかかったが、神は彼を憐れんで下さった』。ここでパウロは、「神は彼を憐れんで下さった」と言っている。他人を裁くことのできる人は独りもいない。しかし、ただ一人、私たちを裁くことのできる神が充分であるとは言えなかったエパフロデトを、非難されなかったのである。却って、彼を憐れまれたのである。そしてパウロは、「私も憐れんで下さった」と、自分も神の憐れみの中にあるというのである。どんな人であろうと、「神の憐れみ」なくして生きていける人は一人もいないのである。

神への献げ物
 パウロはエパフロデトを「兄弟」「同労者」「戦友」「使者・奉仕者」と呼んでいる。
 特に「奉仕者」というのは、元来礼拝の「奉仕者」を意味していた。というのは、パウロを助けるということは、礼拝に関係あることだという意味である。4:18を見ると、パウロはピリピから受けた贈物について、「それは、芳しい香りであり、神の喜んで受けて下さる供え物である」と言っている。それは単にパウロへの贈り物だったというのではなく、信仰をもってなされたピリピ教会の兄弟姉妹たちから神への献げ物であった。金銭だけではない、エパフロデトもまたピリピ教会の人たちが神に献げた献げ物であるから、まさにその意味でもエパフロデトのことを礼拝の奉仕者と呼んだのである。弱い、失敗の多い人物がこう呼ばれたのである。
 よく見ると、テモテとエパフロデト、この二人はそれぞれ立場はまるで違っていたが、この二人の生活の中にキリストによって生きる者の幸せが、見事に示されている。神の憐れみがなければ、この世の中は実に惨めである。しかし、この神の憐れみがあれば、初めて私たちは望みを持つことができる。この神の憐れみ(どんな者をも見捨てない)を知ると、人は初めて愛によって生きることができるのである。


    
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