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あなたの口から出てくるもの
マタイ15章1-20節
しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。(18-20)
パリサイ人・律法学者たちは、主イエスの弟子たちの行動について主イエスにクレームをつけました。あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えを守っていません、食事の時に手を洗っていません、と言うのです。これは、手を洗わないで食べると、何か汚れたものをさわっていたら、その汚れが体の中に入ってしまうからということだったのです。
主イエスは、あなたがたは小さなことにとらわれているうちに、大筋を見失っている、と指摘されます。確かに表面的には神さまを敬っているように見せているかも知れないけれど、その心が遠く神さまから離れてしまっている・・・。そして主イエスはおっしゃいました。口から入ってくるものよりも、もっと大事なことはあなたの口から何が出てくるかだ。もっというと、あなたの心の中に何があるかだ。
私たちの口から何が出てくるのでしょうか。人を生かし、徳を高めるような言葉が出てくるのだろうか、それとも不満や不平やうわさ話や人を馬鹿にしたり、こき下ろすような言葉なのでしょうか。主イエスはおっしゃいました。口から出てくるものを見たら、心の中に何が入っているかが分かってくる。そして心の中にあるものが人を傷つけ、人を悲しい思いにさせ、人を罪の中に引き込んでしまう。
パリサイ人たちは外からは立派に見えたでしょうし、人々から尊敬もされていたことでしょう。けれども、主イエスはあなたの心の中には何があるかと問われます。パリサイ人を責める前に、私の心の中はどうだろうかということを点検させていただきたいと思います。
さて、たとえば、主イエスがおっしゃるように、わたしもパリサイ人たちのことを笑えない、汚いものがたくさんつまっていることに気づいたら、どうしたらよいでしょう。手だったら水で洗えば良いでしょう。心の中はどのようにしたらきれいになるでしょう。知ってください。主イエスはその問題を解決するためにこの世に来てくださいました。主イエスは、十字架にかかって、私たちの罪を身代わりに負い、私たちのために救いの道を開いてくださったのです。そして、私たちが主イエスを信じる時に、私たちの心をきよくしてくださいます。
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