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見るべき姿のない救い主
イザヤ52章13節〜53章12節

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(5)

 イザヤは言いました。救いが「しもべなるメシヤ(救い主)」によって実現する。その神の「しもべ」である方は、その苦しみによって、私たちのために救いの道を開くというのです。

1 見るべき姿のない救い主
 私たちは勇ましい救い主にあこがれます。すがりたいと思います。みじめで、弱くて、やられ放題のヒーローではだめなのです。しかし、イザヤは言いました。その顔立ちはそこなわれている。見るべき姿がない。威厳がない。慕うべき美しさもない。弱くて、病気がちで、悲しめられている。私たちは思います。反撃しなきゃだめでしょ。でも、このしもべはやられっぱなしで、口を開かない。
 主イエスはまさにそのようなお方でした。むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、ローマの兵隊たちに馬鹿にされ、また十字架の下を通る人々が散々、悪口を言うのに、何も反論しないのです。私たちはかっこいいものを見るし、美しいものに引かれます。けれども、十字架の主イエスにはそのようなものは何もない。彼は人に捨てられ、忌み嫌われ、侮られた。そしてイザヤは言います。それはその当時の人々だけのことではない。「われわれも彼を尊ばなかった」。

2 身代わりの死
 人々は思うのです。この人はよほど悪いことをしたに違いない。だから神に捨てられ、裁かれているのだ。しかしイザヤは言います。このしもべは、私の負うべき病・悲しみを担ってくださったのだ。このお方は私たちの咎・不義のために砕かれたのだ。神は私たちの罪をこのお方の上に負わせた。それは私たちの罪の身代わりだったのです。

3 平安といやしをもたらす主
 本当でしたら、私たちが侮られ、神にも人にも捨てられて滅んでいかなければならなかったのに、しもべなる救い主イエス・キリストが身代わりになってそれを負って下さいました。そして、彼が私たちの不義を身代わりに負って、懲らしめを受け、打たれてくださったことのゆえに私たちは平安といやしとをいただいたのです。
 私たちも主をあざける人たちの中にいました。何と罪深いことかと思います。そんな罪深い者は裁かれて滅んで当たり前です。しかし、主はそんな私たちのために死んでくださいました。このお方の死によって、私たちにいやしと平安が与えられたのです。


    
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