誰の名のために祈るのか
ルカ11章1〜2節
祈るときには、こう言いなさい、「父よ、御名があがめられますように。 御国がきますように」。 (2)
さあ、お祈りを何から始めましょうか。最初に祈る言葉として主イエスは「御名があがめられますように」と教えられたのです。
1 名前ということ
御名とは神さまのお名前ということです。名前は他の人と自分とを見分けるしるしです。名前はまさにその人のアイデンティティー、その人とほかの人とを区別するものです。そして、その名前を呼ばれるだけで、私たちはその名前をつけられた相手のことを思い浮かべます。
2 神様の名前
神様には名前があるのでしょうか。もともとイスラエルの人々は神の名前を意識しませんでした。聖書では神とはお一人といわれています。それでも、他の国々の神々と区別するために旧約聖書の中にはいくつかの名前が上げられています。
@アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神(出エジプト3:6)・・・神は「○○の神」というようにおしゃった。それはあなたと出会う前に、○○にも△△にもあっている。その○○や△△の人生にもかかわっていた。そして、私はあなたの神でもあるのだと神はおっしゃったのです。
A「あってあるもの」(出エジプト3:14)・・・神がエジプトで奴隷であったイスラエルの民を救い出そうとされたとき、神はモーセにご自身の名を「あってあるもの」とおっしゃいました。これは、何もなくてもあるお方、すべてのものをあらしめるお方、「わたしはある」というお方だ。神は何がなくても「ある」という方、そして私たちを有らしめるお方なのです。
B「主」(出エジプト6:2)・・・主という言葉は、「救い主」という意味です。私たちが自分で自分をどうすることもできないときに、神は、私たちを救い、罪と死の力から私たちをあがなってくださいました。神様にはそのような力があるのです。
3 御名があがめられるということ
御名があがめられますように、ということは、「私はこのあなたのお名前を呼びます。私の祈りは、自分が得をして、ほめられ、賞賛されるためではありません。あなたのお名前が高められ、あなたがほめられ、あなたがあがめられ、あなたが賛美されることなのです」。それはまさに、お祈りという行為の中にあっても、神を神とする、神をあがめることから始める、ということなのです。私たちは私たちの名のために祈るのではありません。神さまの御名のために祈るのです。
|