父よと呼ぶ祈り
ルカ11章1〜2節
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 (ローマ8章15節)
あるとき、主イエスが祈っておられたとき、弟子のひとりがイエスさまに言います。「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。その時に、主イエスは「主の祈り」と呼ばれている有名な祈りを教えてくださいました。教会では今もこの祈りを大切にしています。
1 天にまします神への祈り
神は私たちのそばに、私たちと共にいてくださいます。しかし同時に、この神は私たちをはるかに越えたお方、天の御座に座しておられるお方です。私たちの現実の歩みにおいて多くの苦難や迷いがあるなかで、私たちはうつむいたり、自分たちの生きる同じ地平を見つめるだけでなく、天を見つめます。すると、そこに座しておられるお方、そこで天も地も一切の権威をとり、すべてを治めておられるお方を知るのです。四方八方を囲まれてしまっても上は開いています。私たちはどのような中でも神を見上げることができるのです。
2 われらの祈り
この祈りは「われらの祈り」です。ひとりで祈るのも大切なのですが、私たちがたといひとりで祈る時にも、私たちと祈りを合わせてくれる人がいることを覚えてください。言葉は違い、時は違っても、みんなの祈りが一つになって立ち上るのです。
3 「父よ」と祈る祈り
私たちは祈る時に、神に対して「父よ」と呼びかけるのです。祈りはとても親しい交わりです。神は私たちに子どものように信頼して、神に近づいて、神を呼ぶようにとおっしゃるのです。
私たちは、神に背き、罪を犯し、自分勝手な生き方に走って、神を敵として生きてきました。神から見捨てられて当然ですし、神に「お父さん」などと呼びかける資格はありません。けれども、神さまはそんな私たちを愛して、その御子イエスの血潮をもってあがなって、御自分のものとして下さった。私たちを「わたしの子」と呼んで、神との新しい関係の中に生きるものとしてくださった。そしてわたしたちが遠慮なく、神さまに「お父さん」と呼ぶことを待っていてくださるのです。
ペンテコステの日に注がれた聖霊は、私たちが神に「アバ父よ」と祈ることができるように、私たちを導いてくださいます。まさに私たちが「父よ」と祈る時、私たちは三位一体の神の御前にいるのです。
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