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行きて告げよ
列王下7章3〜9節

錦織 博義 師

すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 (11)  

 「行って伝えよ!」これはすべてのクリスチャンに対する主のみ心である。私たちに対する主の緊急の訴えは、「行って伝えよ!」「行って知らせよ!」である。なぜであろうか。
私たちの持てる物のゆえに
 この四人は、かつては、彼らも飢えて死のうとしていたが、今は満たされていた。しかしそれは、私たちが今日持っている物に比べるならば、物の数ではない。私たちが持っている物・経験しているものは霊的・本質的・永遠的なものである。私たちは罪の力から解放され、喜びと平和、永遠の命が与えられ、死に対しても希望を持つことができた。この恵みを独り占めしていいのだろうか?あの病人が行ったように、私たちも行くべきではないだろうか?主は私たちのすべてを満たして下さった。それだけではなく、主は私たちのすべて、私の受くべき分、私へのすばらしい遺産なのである。だのに、黙っていていいのだろうか?
みんなが必要としているがゆえに
 サマリヤの町を想像してみよ。何万人もの人が、今にも餓死しようとしていた。しかし今日は、命のパンが手に入らないで滅んでいく人が至る所にいる。しかも、私たちはその人々の必要に応えることができるのだ。彼らはイエスさまを知らずして失われている。私たちは、彼らの真の必要を満たそうとしたことがあるだろうか?誰が、あのサマリヤの町の人々に豊かな供給を知らせるのか?誰が彼らの必要を満たすのか?私たちクリスチャンではないのか?
神はイザヤを通して言われた。
『わたしはだれを遣わそうか。だれがわれわれのために行くだろうか?』
『わたしがここにおります。わたしをお遣わし下さい』と決断しようではないか!
もし語らなければ
 彼らは、夜明けまで待たなかった。この良い知らせ、Good Newsをすぐに知らせに行った。私たちはイエス・キリストの血潮によって贖われた。しかし、私たちはそれを他に知らせようとせず、じっとしていていいだろうか?私たちは地獄に行くことを免れて天国に行くために救われたのではない。それではあまりにも利己的である。
 周囲にそれを必要としている人がいるとしても、語ろうとしなければやがて神からその責任を問われることになる。私たちは昨年何人の人に断られたのだろうか?主はその血をあなたの手に求めると言われる。誘ってみよう。断られても大丈夫!導かれるのは神である。


    
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