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福音に生きよう
ピリピ1章27〜30節
錦織 博義 師
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。 (27)
誰でもイエス・キリストを信じる時は、一個人としてキリスト者になる。しかしそのようにしてキリストを信じ受け入れた者は、「教会」というキリスト者の信仰的共同体、すなわち集団の中に、神の国の民として生まれる。そして教会に属し、信仰生活を営むキリスト者は、その集団に属している者に相応しい生活が求められる。それは「キリストの福音にふさわしい生活」である。
ローマ市民がローマの保護の許にあったように、キリストの王国の民はすばらしい特権と保護の許にある。それは「神の子供とされる特権」である。神の子供であるから、大胆に神の前に出ることができる。神は私たちを導き、守り、慰め、強めて下さる。心から悔い改めて神の前に出るならば、その罪を赦し、すべての不義からきよめて下さる。そして遂には、神と共に住むことが許される。何という素晴らしい特権であろうか?私たちがその民にふさわしい生活を送るのは当然のことである。
キリストの福音にふさわしい生き方が三つある。
@一つの霊によって堅く立つ
教会の一致は、御霊による以外にない。この聖霊が教会の構成員一人びとりの霊に住んで下さるからこそ、教会全体にも住まわれるのである。一致の絆は、この御霊の内住にある。
A一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦う
福音はいつの時代にも外側ばかりではなく、内側からも揺さぶられてきた。異端や極端に走らせようとする誘惑、サタンの仕業である。だからこの共通の敵に向かって、心を一つにして戦えというのである。一致は力である。
B敵対する者(反対者)どもに狼狽させられない(驚かされない)
パウロはピリピでは、ユダヤ人からではなく、異邦人からの迫害があった。彼らは、その後もこの教会を脅かし続けたであろう。しかしパウロは、このような迫害に対して、おびえて逃げ出す馬のように驚かないようにと励ましている。
キリストの福音のために共に戦い、どんなことがあっても反対者に驚かされることなく、勇気をもって立ち向かって行くならば、それ自身が「しるし」となる。それは反対者にとっては「滅びのしるし」であると共に、信仰者にとっては、「救いのしるし」、神の臨在と恵みの証拠、つまり最後の勝利のしるしとなる。これこそ神の力、最後の勝利の力である。
しかもその救いが神によって裏打ちされているとは、なんとすばらしいことではないだろうか!
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