日々罪の赦しを求めて
ルカ11章1〜4節
わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。 (4)
主の祈りを続けて学びたいと思います。日ごとの食物を求める祈りに続くのは・・・
1 わたしたちの罪をもおゆるしください
ここで、私たちは主の祈りを祈るたびに、ひとつのことを思い起こす事になります。それはわたしは神の前にゆるされなければならない存在だということです。私たちが誰かに罪を犯す時に、それはその人に対する罪であると共に、神に対する罪でもあるのです。
私たちはおゆるしくださいと祈ります。そして神はゆるしてくださいます。けれども、私たちがゆるされるために、神がどんなに大きな犠牲を払って下さったかを私たちは忘れないでいたいと思います。
2 私たちに負債のあるものを皆ゆるします
ここで、私たちは、神に罪のゆるしを求め、また人々の負い目をゆるしますと宣言するのです。「負い目」という言葉は何でしょう。私たちは、こんなにひどいことをされたといって、他の人を恨み、また自分は無条件でこんなに相手によくしてあげていると思ったりします。あの人はわたしに借りがある・・・と考えるのです。しかし、それを手放すのです。あの人は〇月〇日、こういうひどいことを私にした、という証書をいつまでも大事にとっていないで、捨てるのです。全部、ゆるします、と祈るのです。
それは私たちがゆるされるための、いわゆる交換条件ではありません。私たちはゆるされたのです。ですから、ゆるすことが期待されているのです。マタイ18章で、主イエスは一万タラントの借金を帳消しにしてもらった男のたとえ話をされました。ゆるされた彼は100デナリを貸していた男に会います。100デナリも決して小さな金額ではありません。しかし、彼がゆるされた一万タラントに比べたらあまりにも小さい。でも彼は100デナリをゆるせなかった。その時、王は、一万タラントの借金を帳消しにすることをやめたという話です。ゆるすことはゆるされるための条件ではありませんでしたが、当然、そこに期待されている事だったのです。
自分がどんなにゆるされているかを知ったらゆるせるはずです。でも同時に、それでも赦せない時に、主はこのように祈りなさい、私の後について祈りなさいと教え、また、私たちの罪を、と共に祈る仲間を置いていてくださるのです。
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