見よ、わたしは新しいことをなす
イザヤ43章18〜19節
あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(18-19)
イザヤは、イスラエルの罪を指摘し、滅びを告げました。しかし、イザヤは単に罪を告発し、さばきを告げただけでなく、ゆるしと回復を語ったのでした。
1 思い出せ
16-17節のところには、出エジプトの時の事が語られています。主は海の中に道を造ってイスラエルを救い、導かれました。エジプトの最強の軍隊は見事に撃ち破られたのです。恵みの記憶は私たちを信仰へともう一度導いてくれます。
2 思い出すな
しかし、イザヤは主の言葉としてこう語ります。あなたがたは先の事、いにしえのことを思い起こしてはならない。それは、それどころではない、もっと大きなことを主はしようとしておられたからです。
@わたしは新しいことをなす
私たちは、ともすると過去の栄光にすがって生きるということがあります。神さまはこんなこともあんなこともしてくださった。でも神さまはもっと大きな新しいことをしてくださる。過去の栄光を追い求めて、今はだめだ、誰のせいだ、と責任を押しつけ合うのではない。神さまは今までだれも経験したことがないような新しいことをしてくださるのです。
Aやがて・・・起こる
それは起こる。神がそのことをしてくださる。バビロンに捕囚になってしまったら、人間的にはもうおしまいだと思います。でも、神はそのことをして下さる。今、たとい手ほどの雲がなにも見えなかったとしても、主はそのことを行なってくださるのです。それは起こる、と主がおっしゃるのなら間違いはないのです。
B荒野に道・砂漠に川
神は昔、海の中に道を造って、イスラエルにそこを通らせてくださいました。しかし今度は荒野に道、砂漠に川を造ってくださる。それは海に道を造るよりもある意味、難しい話です。でも神はイスラエルの民のためにそれをして下さる。そして、それだけではありません。主は私たちを罪の奴隷であったところから解放し、赦しと主の民としての歩みに導いて下さるのです。
主は私たち一人一人の生涯にも大きなすばらしい御業をしてくださいました。私たちの教会にもその力強い御手を動かしてくださいました。しかし、主はさらに新しいことをしてくださいます。信頼し、期待して歩もうではありませんか。
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