時が来ました
ヨハネ17章1〜5節
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。(3)
ヨハネ一七章は、十字架前夜の主イエスの祈りで、「大祭司の祈り」と言われています。この祈りは三つの部分に分けることができます。
1〜5 主イエスご自身のための祈り
6〜19 弟子たちのための祈り
20〜28 弟子たちを通して将来、イエスさまを信じる人々に関する祈り
主イエスは弟子たちとの会話を終えたときに、天を見上げて祈ります。私たちもまた主に祈りをささげたいと思います。そして主イエスはおっしゃいます。「父よ、時が来ました」。それは何の時でしょうか。
1 父の栄光をあらわす時
主イエスは、父に従ってこの世に下り、そして父に託されたわざを成し遂げられました。主イエスはどこまでも父に信頼しておられたからです。まさに十字架の死に至るまで従順に従われ、父なる神の栄光をあらわされたのです。
2 主イエスが栄光に輝く時
主イエスは天地が造られる前から父なる神と共におられました。そして、主イエスはその時から栄光をもっておられました。主イエスは神だからです。しかし、主イエスはある意味、御自分を隠し、父に栄光を帰してこられました。しかし、まさに主イエスが栄光に輝くときが来ようとしていたのです。その栄光は十字架の向こうにある栄光であり、また十字架の栄光でした。そして主イエスはすべての民のあがめるべき主として栄光を受けようとしておられました。
3 永遠の命を与えられる時
主イエスはその十字架によって、信じる者すべてに永遠の命を与えてくださいました。その永遠の命はいつまでも死なない命、天国で生きる命である共に、神とイエス・キリストを知ること、それはまさに父と子のうちにある交わりの中に共に生きる命なのです。ですからこの祈りは、まさに、私の十字架の死によって、多くの人たちがこの神との交わりの中に入ることができるようにしてくださいという祈りです。主イエスは、「父よ、時が来ました」と祈られました。それは主イエスの十字架の時が来ましたということであると共に、わたしの死を通して、あの人もあの人も永遠の命に生きる時が来たのですね、という祈りでもあります。主イエスは私たちが永遠の命を受け、神との交わりに入れられることを知っておられました。まさに、あなたが主イエスのあがないを受け入れて、この永遠の命に入る時が来ているのです。
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