御座に上る聖徒の祈り
黙示録8章1〜13節
また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。(3〜4)
地上の教会は様々な問題を抱えています。しかし、天が開かれていて、そこには神の御座があり、そこでは主がたたえられている。
その神の右の手にある7つの封印で閉じられた巻物を屠られたと見える子羊が解いていく。すると地に様々な災いが起こる。歴史は最後の審判へと進んでいく。そして6つ目までが終わり、ついにこの8章で第7の封印が解かれます。すると半時ほど天に静けさがありますが、それは次の災いのサイクル、それは7つのラッパの災いなのですが、その準備の時でもありました。その静けさは祈りの時でもあります。
1 神への香りとしてささげられた聖徒たちの祈り(参 5:8)
7つのラッパの前のしずけさの中で、主の御前に香がささげられました。香は、旧約聖書においては特に礼拝において用いられ、神に対してささげられたのでした。
さてこの神の前にささげられる香ですが、ここで聖徒たちの祈りとされています。私たちの祈りは主の前に立ち上る香りです。主はそれを喜んでくださいます。祈りは単に私たちが神様にお願いをするということではありません。それ自体が神への香りでありささげものなのです。そしてこの祈りは聖徒たちの祈りです。私たちが共にささげる祈りが主の御前に立ち上るのです。
2 聖徒たちの祈りに加えられたたくさんの香
み使いが神の御前に聖徒たちの祈りを持っていく。しかし、それだけではどうも足りない。そこで御使いは聖徒たちの祈りに加えてささげる香をそこに足しています。私たちの祈りはつたなくて、言葉足らずかもしれません。また私たちの祈りは、時に、私たちが意識しているよりもずっと自己中心で、生臭いかもしれません。しかし、そこに香が足される。聖徒たちの祈りが主の御前に良い香りとして受け入れられるように、主がそこにきよい香りを足してくださいます。それは御霊のとりなしであり、また主イエスご自身のとりなしでもあります。それらの香が足されることを知っているので、私たちは安心して遠慮なく主に祈ることができるのです。そして主はその祈りが立ち上るのを喜んで受けてくださいます。
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