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悩みから始まるクリスマス
マタイ1章17〜25節 羽佐田和世師
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。(23)
最初のクリスマスの出来事は、驚きと喜びに溢れている反面、悲しみと悩みから始まっていたことが聖書には記されています。
悲しみとは、救い主を殺そうとヘロデ王がベツレヘムに生まれた2才以下の男の子を皆殺しにする事件があったことです。そして悩みとは、この箇所の主人公、ヨセフが体験したことです。
ヨセフには婚約中のマリヤがいましたが、彼女が妊娠していることがわかります。それも自分との関係ではない子どもです。ヨセフはどんなにショックだったでしょう。悩んだことでしょう。たとえどんなにヨセフがマリヤを愛していたとしても、神の掟に従うならば、彼はマリヤと結婚することはできませんでした。神に従う正しい人であったからです。しかしその正しさは、憐れみを失った正しさではありませんでした。マリヤのことを、姦淫の罪を犯したと怒って人々に晒すのではなく、密かに離縁することによって、マリヤを守ることにしました。
するとそう決意したタイミングで、夢で天使から神の言葉が告げられました。これがマリヤと同時にもしくは一緒に「これは聖霊の働きによることで、生まれてくる子どもが救い主である」ということを告げられていたなら、彼は悩まなくてもよかったはずです。しかしそれが神のタイミングでした。ある牧師は、だれにも言えない、だれにも相談できない秘密を抱えた心の片隅でこそ、人はただ一人神の前に立ち、神に出会うのだと語っています。
生まれてくる子ども主イエスは、私たちを罪から救う救い主としてやがて十字架で死なれ、死からよみがえるお方です。そして神が共におられることをあらわす、インマヌエルと呼ばれるお方です。
ヨセフは夢で語られた神の言葉に従ってマリヤと結婚しました。ヨセフは神が共におられることを、天使を通して語られる神の言葉に導かれることによって味わいました。そして彼はいつも従いました。エジプトに逃げた時も、帰ってきたときも。
主イエスは私たちの悩みの中に生まれてくださいました。そして信じる私たちを、罪と悩みから解放し、み言葉によって導き、神が共におられることをみ言葉によって現してくださるのです。
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