約束の子として生まれた主イエス
マタイ1章1〜16節
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。 (創世記12章1〜2節)
マタイによる福音書の最初に置かれた系図の部分は、マタイにとっても、ユダヤ人キリスト者たちにとって、とても大切なものです。
1 歴史の中に入って来てくださった神
ここに名前が出てくる一人一人の生涯は長い、短いありますし、その詳細について、何も分かっていない人もいます。でも、それでも、その一人一人に一日一日の歩みがありました。そして、そのような人生の積み重ねの歴史の中に、永遠の神さまが入ってきてくださったのです。永遠の神が、有限の私たちの歴史の中にも来てくださいました。さて、このところでマタイは、主イエスがアブラハムの子、ダビデの子として生まれてくださったと言います。
2 アブラハムの子としてこられた主
アブラハムは信仰の父と呼ばれています。主イエスの救いは、救い主を信じる者に神が与えてくださる祝福でした。
神はアブラハムに声をかけて、私が示す地に行きなさいとおっしゃいました。そしてアブラハムは行き先を知らずに出ていきました。アブラハムは声をかけてくださったお方を信じたのです。神さまはアブラハムを祝福するとおっしゃいました。けれども、その時点ではまだアブラハムには子どもはいませんでした。でもアブラハムは神を信じました。神はそのような信仰の子として主イエスを生まれさせてくださいました。
3 ダビデの子としてこられた主
神さまはダビデにあなたの子孫が王になると言われました。ですから、ソロモンからエコニヤまでは、ダビデの子孫で王になった人々です。しかし、それ以降の子孫たちは王にはなっていません。神さまがダビデにされた約束はどうなってしまったのでしょう。神さまはダビデとの約束を忘れてはおられませんでした。
アブラハムも、またダビデも多くの失敗をしました。神さまを信じ切れなかったり、罪を犯してしまったこともあります。けれども、神さまはそんなアブラハムとダビデのことを見捨てられませんでした。神さまがアブラハムに、またダビデに約束されたからです。神さまはどこまでも真実でした。そしてアブラハムの子として、ダビデの子として、救い主を送ってくださったのです。
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