若さへの信仰からの解放
イザヤ40章27〜31節
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(30〜31)
私たちは若さに大きな価値を置く社会の中にいます。確かに若いということは、神さまが与えてくださったすばらしい賜物です。しかし、同時に、私たちが自分の若さに頼って生きていくと、私たちが若くなくなっていったときに、私たちはまるで自分の価値が減ってしまったかのような悲しい気持ちになるのです。けれども、私たちは覚えたいと思います。私たちの価値は歳で決まるのではないし、何ができるかということで決まるのでもない。私たちの価値はとこしえの神、地の果ての創造者である主によって決まるのです。
1 弱ることも疲れることのない主
聖書の神は弱ることも、疲れることもありません。とこしえの神、いつも、いつまでも、変わることなく、またぶれることなく、いのちと力に満ちておられるのです。
2 私たちに力と強さをくださる主
このお方は弱った者、勢いのない者をかえりみ、寄り添い、力を与え強くしてくださいます。主が私たちにくださる力は新しい力であるだけではありません。わしのように上り、悠然と高みを飛ぶ力なのです。
3 若さを越える主への信頼
ですから、私たちにとって大切なのは、若くて力に満ちているかということではなく、また歳をとって経験と知恵を身に付けているかということでもありません。主を待ち望むということです。
私たちは、神さまがどこにおられるのだろうかと思うような試練の中を通ることもあるでしょう。しかし、このお方は決してあなたから離れることはありません。またいつでも私たちの訴えを聞いてくださいます。
だから私たちは主に信頼して、待つのです。そしてその希望は決して裏切られることはありません。確かに、私たちは時間という制約の中に生きていて、待ちくたびれて、いらいらしたり、もう待てないといって、神ではなく人に頼ったり、自分の知恵ややり方で切り抜けようとしたりします。しかし、神さまは決してあなたを裏切りません。
私たちが主に信頼して待ち望む時私たちはいろいろな弱さや困難の中にあっても新しく力を得ることができます。弱っても心配いりません。主は新しい力をくださるからです。
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