私たちにもう一度リバイバルを
詩篇85篇 テッド・レンドル 師
あなたの民が、あなたによって喜びを得るため、われらを再び生かされないのですか。。(6)
この11月23日は、大正8年のリバイバルからちょうど百年の記念の時でもあります。淀橋で、また長野で祈る中で、主の御業があらわされ、人々は悔い改め、喜びに満たされ、聖霊の力にあふれ、次々に主を信じる者たちが起こされていきました。ホーリネス教会は爆発的な成長を遂げます。けれどもそれは単に過去にそのようなことがあったということで終わってはいけません。私たちは今もリバイバルを求めたいと思います。そしてこの詩篇85篇はまさにイスラエルの民のリバイバルを求める祈りでもあるのです。
1 リバイバルの源
この6節で、詩篇の記者は主に近づき、主に求めています。主こそがリバイバルの源なるお方だからです。
そしてこの詩篇の記者は過去に主がしてくださった回復の御業を思い起こしています。けれどもそれだけではありません。この作者はこのお方が今も、働いておられるお方であることを告白するのです。
2 リバイバルの目的
リバイバルにおいては、教会の中に悔い改めのうねりが起こり、また多くの人たちが教会に新しく集い、信仰を告白していきます。けれども、それはリバイバルの結果であり、目的ではありません。6節でこの詩篇の記者は「あなたによって喜びを得るため」と言います。神の民が主を喜ぶことこそがリバイバルの目的なのです。私たちは主の御性質を喜び、また主がしてくださった御業を喜ぶのです。
3 リバイバルを求める祈り
ここで詩篇の記者はリバイバルを求めて祈ります。私たちもまたリバイバルを求めて祈るべきです。私たちは確信をもって、熱心に、また忍耐強く祈るのです。そして、主はそのような祈りに答えてくださいます。
4 リバイバルの約束
この詩篇の作者は大きな苦難の中にありました。個人的な困難というよりも、ここでは国としての苦難の中にあったのでしょう。けれども、この詩篇の記者は祈りつつ、主にすがり、主のリバイバル、回復の御業を求めています。そしてこの詩篇の記者は、主は、私たちが祈り、求めるとき、「良い物を与え」てくださる(12)、また「平和を語られ」る(8)、と信じています。まさに主はそのようなお方なのです。
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