小羊についていく
黙示録14章1〜20節
彼らは・・・小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。 (4)
まるで龍と二頭の獣が地を全く支配しているかのような現実の中にあって、14章にきますとまた、天の状景が描かれます。シオンの山に小羊が立っている。そして、その額に小羊の名とその父の名が書かれた十四万四千人の人たちが主をあがめているのです。そして彼らは小羊の行く所どこにでもついていく・・・。
1 このお方は私たちを愛しあがなってくださったから
彼らは小羊についていきます。それは彼らが小羊によってあがなわれて、神のものとされたからです。私たちはかつては神を知らず、神に背を向けて歩んでいました。私たちはサタンに捕らわれていました。しかし、主はそのような私たちを愛してあがなってくださった。あがなう、と言う言葉は代価を払って買い取るという意味のある言葉です。主は私たちを買い戻してくださった。私たちを愛し、ご自身の命という大きな代価を払って救い出してくださった。そして単に悪魔に捕らわれていた私たちを解放してくださったというだけでなく、私たちは神のものとされたのです。神が私たちを滅びのなかから救い出してご自身のものとしてくださった、だから私たちはこのお方についていくのです。
2 このお方は勝利者だから
主イエスはその十字架でサタンに対して勝利してくださいました。どんなにサタンが支配しているように見せたとしても、サタンの敗北は決まっています。この小羊こそが勝利者です。私たちにとって大事なことはこのお方にいつも、どこまでもついていくことです。小羊が進んで行く道はときに、狭い道、苦難の道、死の陰の谷かもしれません。しかし、このお方についていく道が一番確かです。やがて裁きの日が来ます。悪魔についていったら、一時的にはお金や地位を手に入れることができるかもしれません。しかしそれは永遠には続きません。
3 このお方が共にいってくださるから
ついていくというということは、主が先に行って下さると言うことです。小羊なるお方、私たちを愛しあがなってくださったお方、勝利者なるお方が私たちの先にいって、私たちを導いてくださいます。私たちには道が分からないことがあります。けれどもこのお方は迷うことはありません。ちゃんと道を知っていて、私たちを導いてくださるのです。
主は私たちを無理やり、いやいや従わせようとはなさいません。私たちが主を愛してついて来ることを願い、「わたしについてきなさい」と招いてくださるのです。
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