もはや死も悲しみも叫びも痛みもない
ヨハネ黙示録21章1〜8節
見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。 (3〜4)
聖書は初めに神が天と地とを創造されたという天地創造で始まり、神が新しい天と新しい地とを造ってくださる、まさに神の創造のわざ・救いのわざの完成で終わっていきます。まさにそれは天国と言うこともできるでしょう。
1 天から来る都
それは上から下ってくる都です。人間が努力して造り上げる都ではなく、神が私たちのために準備し、造ってくださる都なのです。それは人の努力と知恵と真剣な取り組みの結果ではありません。私たちを愛してくださる神が私たちに与えてくださるものなのです。
2 その新しい都にないもの
そこには、涙も、悲しみも、叫びも、痛みもありません。全ての苦しみが終わる日が来ます。主がその涙を拭ってくださる日が来るのです。
そこには死がありません。聖書は言います。死は、人間に対する神の裁きとしてこの世に入って来た。私たちはこの地上の歩みにおいては、様々な罪の誘惑に負けてしまう、何度も悔い改めを繰り返すということがあります。けれども、やがて私たちが入れていただける天国ではもはや死はない。そこでは私たちと神様との関係を壊すようなものは何もないのです。
3 新しい都にあるもの
天国で一番、すばらしいのは、そこが輝きに満ちた国で、それはそれは美しいところだということではありません。それもすばらしいことなのですが、一番は、神様と一緒にいるということです。
確かに私たちの地上の歩みの中でも、神様は「わたしはあなたと共にいる」と繰り返し、語っておられます。それは神様の約束です。目に見えなくても、感覚的に実感がなかったとしても、主イエスは私たちと一緒にいてくださいます。でも聖書は言います。やがての日には、もっと近く、またもっとクリアに神様を知るようになる。そしてその日には、私たちは、ああ、神様の間とか恵みだとか、分かっているつもりだったけれど、全然分かっていなかった、と気づくことでしょう。神様の愛だとか、その慈しみにふれて、きっと言葉を失うことでしょう。私たちはその国に向かっているのです。
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