ここに愛がある
Tヨハネ4章9〜15節 トクモト愛美修養生
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。(10)
本日は「ここに愛がある」という題で聖書の御言葉を共に見ていきたいのですが、「ここに」とはどこでしょう。そしてこの愛は誰から誰に対しての愛でしょう。これは神様から私たちへの愛です。では神様の愛とはどんなものなのでしょうか。
1 無条件の愛
私たちは、誰かに愛されるためには一定の条件や相手のニーズを満たしていなければならない。良い自分でいなければならない、と考えます。そして神様もそのような方だと思い違いをしてしまうのです。
しかし神様は、私たちが神様の愛に気づく前から、神様に背を向けている時から、最低な状態の私、神様に従えない私、自分の力では何もできない、そのような私たちに、愛を注いで下さっているのです。
2 犠牲を伴う愛
英語で「愛している」は「I love you」と言います。有名な小説家、二葉亭四迷はこれを「あなたのためなら死んでもいいわ」と訳したそうです。愛とは犠牲を伴います。喜んで相手のために犠牲を払います。私たちは愛する者のために何を犠牲にするでしょうか。私たちを愛してくださった神様はご自分のひとり子を犠牲にされ最高の自己犠牲の愛を私たちに示されました。イエス・キリストの十字架の贖いによってその愛を私たちに証明して下さったのです。
3 応答を求める愛
神様は「あなたのために」「私のために」この愛を与えてくださっています。そのことをまず喜んで受け取ろうではありませんか!「愛する」ということには強制ではなく、自発的な応答が求められています。
私たちはどう応えることができるでしょうか。ある人が「愛する」ということは「その人を選び続けることだ」と言いました。神様に愛され、赦されている者として、この神様の愛への応答として私たちにできることがあるのだとすれば、それはイエス・キリストを神の子として告白し、神様を愛し続ける、神様を選び続けることではないでしょうか。
そして更に11節にあるように、神が私たちを愛して下さったように私たちも互いに愛し合うべきです。その愛の源泉となるのは、神様の恵みです。神から注がれる愛によって、私たちも神を愛し、人を愛する者にされていくのです。
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