あなたの足を洗うイエス
ヨハネ13章1〜15節
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。。(14-15)
主イエスが十字架につけられる前の晩、主イエスは弟子たちと過越の食事の席につかれました。しかし、そこには足を洗ってくれる奴隷がいませんでした。誰かが足を洗うべきです。ただ、弟子たちは誰も立とうとはしませんでした。そんな中で主イエスは立ち上がって、弟子たちの足もとに身を低くして、一人一人の足を洗われたのでした。
1 イエスさまの謙遜
主イエスは自らを低くして、しもべのように、奴隷のようになって仕えてくださいました。そして、主イエスはこれは手本だとおっしゃいました。人に命令して、人を自分の言葉のままに動かして、自分のために人を使うというのではなく、どこまでも遜って、人に仕えていく歩みを主イエスは弟子たちにも求めておられます。
2 足を洗ってできた関係
ただ、ここでペテロは、イエスさまに言います。「私の足は洗わないでください」。しかし、主イエスは「もしわたしがあなたの足を洗わなかったら、あなたはわたしと何のかかわりもなくなる」。主イエスはここで弟子たちの足を洗い、ペテロの足を洗われた。足を洗わないと生まれない関係があった。そのようにして主は弟子たちに対する愛を示された。
主イエスは弟子たちの一番汚れたところにそのきよい手を触れて、そこを洗うことによって係わりをもたれた。それはまさに、私たちの足以上に汚れた、心を洗うために、主イエスが自らを低くして十字架についてくださったこととつながるのです。主イエスは私たちを愛して、そのようにして私たちとつながりを作ってくださったのです。
3 互いに足を洗い合うお互い
主イエスは弟子たちにおっしゃいます。あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。主イエスによって足を洗っていただいたお互いは、今度はお互いもまた足を洗い合うのです。お互いに相手の罪や弱点をあげつらうのではなく、相手の一番弱いところ、一番苦手なところ、一番問題なところに手を差し伸べ、おおい合うのです。主イエスは、私の弟子たちはまさに互いに足を洗い合って生きるのだとおっしゃるのです。
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