捨てられた神
マタイ27章32〜54節
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(46)
主イエスは十字架の上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。
1 父なる神に信頼しておられたイエス
主イエスは神の御心の中をいつも歩んでおられたお方ですし、神の子として、父なる神様がどんなに慈愛に富んだお方かを生き生きと示してくださいました。イエスさまを見、イエスさまが楽しそうに父なる神と交わり、その愛に信頼して歩んでおられるのを見て、弟子たちも、また民衆たちも、「ああ、自分たちは神さまについて誤解していたかもしれない」と感じたことでしょう。主イエスにとって父なる神は、まさに恵みと憐れみに満ちた方でした。何があっても絶対に私たちを見捨てることのないお方だったのです。
2 見捨てられた主イエス
ところが十字架の上で、ある意味、一番助けが必要に思われるこの場面で、父なる神は子なる主イエス・キリストを捨てたのです。
私たちはここで一瞬、たじろぎます。また大きな失望を感じます。あんなに父なる神に信頼しておられた主イエスを見捨てるなどあんまりだ。
けれども、もし、父なる神がイエスさまをあそこで捨てなかったら、神は私たちを捨てなければなりませんでした。私たちが神に背き、神に罪を犯したからです。父なる神と子なるキリストは、私たちに罪の赦しと救いを与えるために、子なるキリストに私たちの罪を負わせ、私たちではなく、あえてひとり子イエスを捨てたのです。
3 主イエスによって成就された救い
主イエスが見捨てられてくださったゆえに、私たちの罪がゆるされる道が開かれました。主イエスが息を引き取られたとき、神殿の幕が上から下まで裂けました。それは罪深い私たちが聖なる神に近づかないように、至聖所の入口にかけられていた幕です。その幕が上から下まで裂けた。私たちの罪が除かれ、聖なる神に近づく道が開かれました。
私たちのために神に捨てられ、死んでくださった主イエスこそが私たちの救い主です。このお方を通って、私たちは神に近づくのです。
|