わたしに何をしてほしいのか
マタイ20章29〜34節
イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。(32〜34)
主イエスがエリコから出て行かれたとき、大勢の群衆がイエスさまに従います。そのことに気づいたのはその道ばたに座っていた二人の盲人のこじきたちでした。彼らは声を上げます。「主よ、ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」。
1 真剣な求め
彼らはイエスさまに叫び続けました。主イエスがこのあとエリコを去ってエルサレムに向かい、そこで十字架につけられて死なれたことを思うときに、これは、彼らに与えられたラストチャンスだったことを知ります。いつでもいい、また今度と言わないでください。今日、主に向かって求めることです。求め続けることです。主はあなたの叫びを聞いてくださいますし、聞いて聞きっぱなしと言うことは決してありません。
2 わたしに何をしてほしいのか
主は立ち止まり、彼らに問われます。「わたしに何をしてほしいのか」。私たちは主に何を求めるのでしょうか。自分の問題、自分がまず求めるべき事は何なのかを主は、私たちの口で言わせようとなさいます。主は私たちにも問われます。わたしに何をしてほしいのか。それは単に、魂のこと、信仰のことだけでなくていいと思います。それが何であったとしても、あなたの求めを主に申し上げましょう。
もう一つはここで、主は、「わたしに何ができると思っているのか」と問われるのです。彼らはイエスさまには自分たちの目を見えるようにすることができると信じていたのです。私たちは主に信頼し、主の力にすがり、主の御心を求めるのです。
3 主のあわれみのタッチ
主は彼らの求めを聞かれたとき、彼らを深くあわれまれました。主イエスはここで、彼らの目が見えないということと共に、彼らがどんなに苦しい人生を歩んできたかを分かってくださったのです。そして、主は彼らの目にさわり見えるようにしてくださいました。それだけではありません。目が見えるようになった彼らはイエスさまに従っていきました。彼らは喜びをもって主と共に行き、主を証ししたことでしょう。
主は私たちに問われます。「わたしに何をしてほしいのか」。
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