あなたの手を伸ばして
マタイ12章9〜21節
そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。 (13)
主イエスがある安息日に会堂に入って行かれたところ、そこに片手の不自由な人がいました。
今日恵みを与えたいと願われる主
宗教家たちは、安息日に病人を癒すことは、律法が禁じている労働をすることになると考えていました。でもイエス様は何としてもこの日にこの男をいやしてあげたかった、救ってあげたかったのです。
息巻く人々に主イエスはおっしゃいます。誰かが羊を持っていて、その羊が安息日に穴に落ちたら、絶対助けてやるでしょう。そして主イエスにとっては彼は愛する自分の羊のような存在だったのです。
主イエスは御許に来る者たちを決して追い返したり、また今日はだめだからまた明日来なさいとはおっしゃいません。私たちが今日、主の恵みを求めるなら今日答えて救ってくださるのです。
手を伸ばしなさい
主イエスはこの手の不自由な人に、手を伸ばしなさい、とおっしゃいました。主は、彼が手を伸ばせないのを知っておられます。しかし、主イエスが伸ばすようにと語られて、彼がそのお言葉を聞いて従ったときに、彼の手は伸びたのです。
主はあなたの弱さを力のなさを知っておられます。しかし、主はあなたを救い、あなたをいやし、あなたに力を与え、あなたに主が本来備えてくださった力をもう一度与えてくださるのです。
痛んだ葦も消えそうな灯火も
主イエスは憐れみ深いお方です。マタイはこの時のイエス様のことを思い出して、これは確かにイザヤが預言していたことの成就だったと言います。これは私たちの持っている旧約聖書のイザヤ書42章1〜4節の言葉で、やがてこられるメシヤについて語っている箇所です。メシヤは「しもべ」として私たちに仕えてくださる、いためられた葦に、煙っている燈心に仕え、いためられた葦がもう一度復活し、煙っている燈心がもう一度明るく光り輝くことができるようにしてくださる。そのために主イエスは私たちのしもべとなって、私たちを救うために十字架で死んでくださったのです。
主は私たちをあわれんで、救おうとしておられます。いつかではありません。今日、あなたをいやし、立たせて下さいます。主の御言には力があり、あなたをいやし、救い、恵みの中を歩ませてうださるのです。
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