エッサイの株から出た若枝 イザヤ11章1〜5節
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。 (1)
ここでイザヤはエッサイの株からと言います。エッサイの株・・・という言い方はけっこうきつい言い方です。なぜなら言ってみればダビデ王家が切り倒されてしまう・・・という予告でもあったからです。確かにイザヤの時代から100年後にダビデ王家は本当になくなってしまいます。王家というか、国がなくなってしまったのです。もうおしまいだ・・・でもイザヤは言っていました。切株から芽が出る。若枝が出る。そしてイザヤから七百年。ついにダビデの末として、主イエスが来てくださったのです。この主イエスには大きなしるしがありました。それはこの方には、主の霊が止まっているということです。
1 知恵と悟りの霊
これは、メシヤの知的資質をあらわしています。知恵とは、関係を見いだしていく力、悟りとは見分ける力、識別する力のことで、分析して理解していく力のことです。このお方は知恵に満ちておられます。本質をしっかりと見抜く力があるのです。
2 深慮と才能の霊
これはメシヤの実際的資質をあらわしています。単に知恵を持っているというだけでなく、それを具体的な状況の中で生かすことができるのです。深慮とは「はかりごと」のことです。作戦を立てる力があるのです。そして才能とは、勇気のことです。それは、決断をする力です。作戦を立てて終わりではなく、実際にそれを実行に移していく
3 主を知る知識と主を恐れる霊
これはメシヤの霊的資質をあらわしています。イスラエルの歴史の中には政治的に、とてもすぐれた王もいました。けれども一番大切なのは、神を神として恐れ、礼拝し、仕えるて生きると言うことだったのです。
主イエスはまさに知恵と悟りに満ち、みかけではなく本質をしっかりと見分けておられました。また主イエスは何をしたらよいかを知り、実行されました。そして何よりも主は父なる神との間に親しい交わりを持っておられたのです。
そしてこの主の霊に満たされたメシヤなる主イエスこそが私たちの王です。エッサイの末としてダビデの子として、主イエスは生まれました。この主イエスを王としてあがめましょう。このお方は私たちにもその霊を満たして、知恵と悟り、深慮と才能、主を知る知識と主を恐れる霊に生きる者としてくださるのです。
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