復活はある! マルコ 12章18〜27節
「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなき、生きている者の神である。(26,27)
イエスさまをわなにかけたい人々は何とかイエスさまが困る顔を見たくてたまりません。それならと、サドカイ人たちがイエスさまのところにやってきました。そして得意げにイエスさまに話しかけました。
サドカイ人たちは死んでからあと復活するなどナンセンスだと思っていました。彼らはいわゆる、この世の成功者たちで、この世で権力や財力を握っている人々でした。彼らにとってはこの世がすべてです。そして一度死んだら、それで終わりだと思っている。
しかし、イエスさまは、サドカイ人たちに、あなたがたは何も分かっていないとおっしゃって、彼らを一蹴されます。あなたがたは思い違いをしている。この世の常識で、あなたの知恵で復活が分からないからと、復活はないと言うのは大きな間違いだ。思い違いだ。そしてイエスさまは復活はあるのだ!とおしゃるのです。
1 神の力の大きさのゆえに
神は死者をよみがえらせることがおできになる。サドカイ人のあなたがたは神の力が分かっていない、人間の常識や人間の論理で、復活はないと言い切っている。神は大きなお方なのだ。
2 聖書の言葉のゆえに
主イエスはモーセが神さまの声を聞いた燃える柴の場面を思い起こさせます。あそこで神はどのように自己紹介をされたか。私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神・・・つまりアブラハムの神だったという言い方はなさらない。今もアブラハムの神だ。彼らはモーセ、確かにこの地上の生涯を終えたが、今も生きているぞ。主イエスは語られたのです。
3 主イエスの復活のゆえに
主イエスはどんなに神の力が大きいかを知っておられましたし、また聖書の言葉がすでに復活の確かさについて語っているのを知っておられました。しかし、それだkではありません。復活はあるということを、主イエスはご自身の死と復活によって示されたのです。
神の力を知っていたら、復活がないなどとはいえない。聖書の御言を知っていたら、復活がないなどとは言えない。そして、主イエスがよみがえられた今はなおさらのこと、私たちの地上の生涯は終わっても、神の祝福が備えられていることを、私たちは喜びをもって待ち望むことができるのです。
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