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錦織 寛 牧師の過去の礼拝説教の録画映像は、
CGNTVにおいて視聴できます。
こちらからどうぞ

行きて告げよう  列王紀下 7章1〜2節

死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。 (箴言24:11)

 私たちは福音に与り、罪から救われ、神の愛に満たされ、内心の汚れから全くきよめられたではないでしょうか!そんなことを思いながら……。

 ある日の夕方、昼間の厳しい暑さも去り、夜の冷たい空気に変ろうとし、時々、城内のうめき声、母親の悲鳴……。サマリヤは、スリヤ包囲されていたのです。そんな中、四人の重い皮膚病の人が城外に座り込んでいました。彼らも残っていたくず物はみな食べ尽くし、土壇場に来ていました。彼らの生きる道はスリヤ軍に降伏することです。彼らはそれに賭けたのです。彼らは注意深く天幕に近づきました。食べ物はそのまま、誰もいません。他の天幕に入ってみても全く同じ。スリヤ兵は逃亡したのです、一切の物を残して……。彼らは、飢えた狼のように夢中で食べた。満腹になった時、飢えている城内にいる人々に気付いたのです。そして、「われわれのしている事はよくない。……さあ、行って伝えよう」。素晴らしい知らせを知らせたのです。こうしてサマリヤ人は救われたのです。「行って伝えよう!」これはすべての私たちに対する主の御心です。

私たちの持てる物の故に
 この四人は、今必要としている物を持っていました。かつては生きる目的も、希望もなかったが、今は喜びに満ちて感謝です。だから「こんなことをしていてはいけない」と言ったのは当然です。今、私たちが持っている物・経験しているものは霊的、本質的、永遠的なものです。この恵みを独り占めしていてよいのでしょか?あの病人たちのように、私たちも行くべきではないでしょうか?黙っていていいのでしょうか?

みんなが必要としているが故に
 サマリヤの町を想像してみよ。何万人もの人々が、今にも餓死しようとしていた。今日は、命のパンが手に入らないで滅んでいく人が至る所にいます。私たちはその人々の必要に応えることができるのだ。私たち自身は、イエスさまの福音を聞き、イエスさまは私たちの救い主になられた。私たちは、彼らの必要を満たそうとしたことがあるだろうか?

もし語らなければ、責任は?
 彼らは夜明けまで待たなかった。良い知らせ、福音をそのままにしておきませんでした。すぐに行って知らせました。福音は私たちにもたらされ、イエスさまの十字架の血によって救われました。私たちはそれを語ろうとせず、じっとしているでしょうか?断られても大丈夫!導かれるのか神です。共に祈ろうではありませんか?


    
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