祝福を受け継ぐ共同体 Iペテロ 3章8〜9節
悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、
かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、
祝福を受け継ぐためなのである。
私たち一人一人がそのような使命を与えられています。ただ、ここで聖書が「あなたがたは皆、心を一つにして・・・と言われるとき、それは単に個人的に、神から召され、恵みをいただき、使命を与えられているというところにとどまらず、私たちは教会として、そのような使命を与えられている・・・ペテロはそのように語っているのです。
1 悪ではなく、悪口ではなく
ペテロはこの手紙の中で何度か、悪とか悪口とかということに触れています。ある意味、私たちの住んでいるこの世とはまさにそのような世なのです。つまり悪があり、悪口を言い合うことがある。そして、その悪だとか悪意だとか、悪口というのは多くの場合、伝染していきます。悪は必ず、また次の悪を産んでいきます。そして時に、それは教会の中でも、兄弟姉妹の交わりの中でも起こりかねない。けれども、少なくとも、それはイエスさまの生き方ではありません。それはイエスさまを知っている人の姿、イエスさまが贖われた自分の子どもたちに願っておられる生き方ではない。イエスさまを頭とする教会の姿であってはならないのです。
2 祝福を報いる
私たちは祝福をもって報います。それは神がまず、私たちを祝福してくださったからです。それは、私たちがすばらしかったからではありません。私たちがまだどうにもならなかったときに、神さまに背を向けて歩んでいたときに、神さまの方から私たちに近づいてあなたをゆるし、救ってくださった。神の子にしてくださった。悪をもって神にかみつこうとしていた私たちに祝福をもって報いてくださった神は、私たちにも同じように生きることを願っておられます。
私たち一人一人が、そして私たちの共同体がそこに何を入れても、そこから出てくるのは祝福の祈りだというような魔法の箱にしていただきたい。それは不思議ですからきっと人々が集まってくることでしょう。いったい、ここで何が起こっているのだろう・・・と。それは私たちの頑張りと修錬で実現するのではありません。私たちは祝福を受け、継ぐ。受けなかったら継ぐことはできない。でも、主が、まず私たちを祝福してくださって、また私たちのうちに住んで、私たちのうちにそのことをしてくださるのです。
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