その名は? イザヤ9章1〜7節
錦織 博義 師
まつりごとはその肩にあり、その名は「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。 (6)
暗黒の中に一筋の光が輝き、抑圧していた者の杖が砕かれる。そして独りの嬰児が生まれ、その性格を現す驚くべき名前が与えられる、とイザヤは告げる。
その名は「霊妙」
「霊妙」とは、人知でははかり知れないほどに、奥深く すぐれていること。まさに「不思議な」お方であり、wonderfulなお方である。主イエスは父なる神との関わりにおいて、不思議なお方。永遠の昔から神と共におられ、父なる神の懐におられた。創造の御業においても素晴らしい。「すべてのものは、これによってできた」とあるように、み子なるお方は、すべての物をお造りになった。
私たち罪人との関わりにおいても霊妙、不思議である。驚くべき、不思議な愛をもって、不思議な方法によって、私たちの救いを全うされた。
そして昇天し、聖霊をお遣わしになり、今や教会のかしらとして、大祭司としてご自身を信頼する者と、実に不思議な関わりを持っておられる。主の深いご忍耐、温かいご配慮、仲保的なお働き、神秘的なご内住、変ることのないご臨在、聖礼典による恵みの付与等を思うとき、私たちはただただこのお方の不思議に驚く。
その名は「義士、助言者、指導者」
主はすべてをご存じで、すべてのことについての知識を持っておられる。この助言者は、私たちがどのように生きるべきか助言し、アドバイスし、カウンセリングして下さる。
その名は「大能の神」
イザヤはメシア(救い主)が神ご自身であると預言した。主は能力ある神として、私たちの贖いのわざを完成されたのである。
その名は「とこしえの父」
単なる「永遠の父」ではなく、「いつでも」の父である。いつでもどこでも、何をしている時でも、変らない父である。
その名は「平和の君」
真のメシヤは、争いに終止符を打ち、真の平和を樹立し、平和をもって支配される。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除かれた」。この「平和の君」以外のものによる平和は、まがい物であり、決して本物ではない。「平和の君」。主イエスの平和が、人々の心、為政者たちの心、指導者たちの心にない限り、真の平和はあり得ない。
聖書は言う「万軍の主の熱心がこれをなされるのである」。「まつりごとはその肩にあり」まさに主の肩にあるのだ。その主が来られたのだ。ハレルヤ!
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