墓に葬られ、よみがえられた主 ヨハネ11章25節
わたしはよみがえりであり、命である。
れたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
私たちは今年もイースターを迎えました。私たちは主の復活を心から祝い、ともに喜びたいと思います。
1 墓にほうむられた主イエス
主イエスは確かに死なれました。普段よりも早く処刑が終わったということでローマの兵隊がいぶかしがったほどです。ローマの兵隊は主イエスの脇腹を槍で突き刺しました。水と血が分かれて流れ出たというのですが、主イエスは単なる仮死状態ではなく確かに死なれたのです。
主イエスの体をアリマタヤのヨセフが引き取って自分のために買ってあった墓に葬りました。墓の入り口には大きな石が置かれました。そして、誰かが主イエスの遺体を盗みに来るといけないということで、その墓の石にはローマの封印がおされ、ローマの番兵が夜通し番をしていました。
主イエスは確かい死なれました。死んだふりをなさっていたのでもない。主イエスは確かに死なれた。
ちょうど私たちのこの地上の生涯が死で終わるのと同じように、主イエスも死を通ってくださったのです。主イエスは死の苦しみも、その孤独も、その極限まで経験してくださいました。死ぬときは一人と言います。確かにその通りです。しかし、同時に、知ってください。死ぬ時も主は共にいてくださる。死でさえも、神の愛から私たちを引き離すことはできない。主は確かに死んでほうむられてくださったのです。
2 主はよみがえられた
しかし主は三日目に墓を打ち破ってよみがえってくださいました。主イエスはぐるぐる巻きにされ、墓に入れられ、その入り口には大きな石が置かれ、封印がされていましたが、布も石も封印も、主イエスを墓の中にとどめて行くことはできませんでした。主イエスは確かに私たちの罪を負い、呪われたものとなって死んでくださいました。しかし、死はキリストを縛りつけておくことはできませんでした。イエス様は死の縄目を断ち切ってよみがえってくださったのです。
墓の口はぽっかり空いて、中は空っぽでした。主イエスは死を打ち破ってくださいました。私たちの生涯はやがて死で終わるでしょう。ある意味、私たちは死の力の前にまったく無力に思えます。けれども主は死を打ち破ってよみがえってくださいました。ちょうど死の力を打ち破って、墓からよみがえってくださったように、私たちもまたよみがえるのです。
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