年老いても青々と 詩篇 92篇 1〜15節
彼らは年老いてもなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示すでしょう。 (13〜14)
この詩篇の記者は心から神を賛美しています。神のいつくしみ、そのもこと、その御業と御思いを心から喜ぶのです。そしてこの記者は、悪しき者と正しい者について語ります。
1 悪しき者
悪しき者とは単に、悪いことをしているということではありません。それは・・・
@鈍い者・・・神に対して鈍感
A愚かな者・・・勉強ができないということではなく、神がおられるのにそのことを認めようとしない
B不義を行う者・・・神を問題とせず、自分勝手に悪を行う者
彼らは草のようです。ある時期に勢力を誇ったとしてもまたすたれていきます。ある意味、神のことを無視して自分勝手に生きた方が何かと都合がいいかのように思えることもあるでしょう。しかし、神は真実です。どんなに神に背を向けて歩んだ方がこの世では世渡り上手と賞賛されたとしても、その栄えは長くは続きません。
2 正しい者
では、正しい者とはどのような人でしょうか。主の家に、主の大庭に植えられた人です。私たちはそれぞれいろいろなところで生まれたことでしょう。しかし、主によって見いだされて、主に信頼し、主の御前に歩む、主の御前に、主と共に毎日を過ごす歩みに入れていただいたのです。
彼らはなつめやしのように、香柏の木のように育ちます。なつめやしは乾燥地帯でも生えることができ、10メートルから20メートルにもなって、百年、二百年と実を結んでいきます。香柏は日本でいえばひのきであり、家を建てるときの最高級の材料でした。正しい者たちは、いつも生気に満ちています。まわりは乾燥して厳しい気候であっても青々と葉を繁られます。そして、いつも豊かな実を結びます。年老いても実を結び、とここにはあります。若い頃、お一人一人が厳しい時代の中で日本を造り、またある方々は若い頃から信仰をもって信仰の歩みを続けてこられたことでしょう。人間的には若い頃のようにはいろいろなことができないということの中でもどかしさを感じることがあるかもしれません。しかし、歳を重ねないと分からないことがある、歳を重ねないとできないことがある。聖書は言います。もう歳を取ったから何にもできない、ではない。年老いてもなお実を結ぶ、のです。正しい主、私たちの岩である主がそのことをしてくださいます。
生気に満ち、青々とした高齢者の皆さんがいてくださることは教会の宝です。主が皆さんを祝福し、約束のように実を結ばせてくださるのです。
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