あなたの隣り人になったイエス ルカ10章25〜37節
錦織由香師
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。(33、34)
主イエスのたとえ話です。ある旅人が山の中を通っている時に強盗に遭い、身ぐるみはがされた上、瀕死の重傷を負わされて倒れていました。そこに三人の人たちが通りかかります。
1 隣り人にならなかった宗教家たち
三人のうち、二人は旅人が倒れているのを見たのですが、向こう側を通ってそのまま通り過ぎていきました。二人とも神を信じ、神に仕えていた人たちで神様の律法をよく知っていた人たちでした。第三者の目で見ると祭司やレビ人はなんて冷たい人たちだろう、と思えます。けれども、もし自分がこのような場面にであったら本当に助けることができるでしょうか?
2 隣り人になったサマリヤ人
三人目に現れたのはサマリヤ人でした。彼は倒れている旅人を見かけ、気の毒に思い、近寄って介抱してくれたのです。そこには打算も差別もありません。また助けを必要としている人のために自分の出来うることを精一杯しています。そのために労力も時間も惜しまず使ったのでした。
3 隣り人として生きるように召された私たち
イエスさまは律法学者に三人の内で誰が傷ついた旅人の隣り人になったか?と質問しました。当然のことながら答えはサマリヤ人以外に考えられません。律法学者もそう答えました。イエスさまはその答えを受けて「あなたも行って同じようにしなさい」と言われました。私たちは自分に敵対する人、関わりのない人にどこまで尽くすことができるでしょうか?主イエスはこの人に隣り人になって欲しいと願っておられないでしょうか。
4 私たちの隣り人になられた主
私たちが隣り人になる前に、主が私たちのために、隣り人となってくださいました。私たちも倒れていた旅人だったのです。けれども、イエスさまは私たちが神様に敵対して滅びに至る道を歩んでいるのをごらんになり、哀れに思って下さいました。サマリヤ人が旅人を気の毒に思ったとありますが、イエスさまも私たちを自分の胸が張り裂けそうに痛むように憐れみ十字架の救いを与えてくださいました。
私たちは私たちの隣り人になってくださり、私たちを愛し、十字架にかかり死んでくださり、永遠の滅びから救い出してくださった主イエスにどうお応えするでしょうか?主イエスに感謝し、信じて歩んで行きましょう。
|