悲しむ者への慰め マタイ 5章4節
悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。
主イエスは、悲しんでいる者たちはさいわいだ、とおっしゃいました。私たちの生涯の中には多かれ少なかれ、悲しみの日があります。そして、そういう時には、私は何て不幸なのだろう。私ほど不幸な人はいない神様にもきっと見放されている、と思うものです。しかし、主イエスは悲しんでいる人に、あなたは不幸で、気の毒で、神様からも見捨てられている人ではない。あなたは、神様に祝福されている、とおっしゃるのです。
主イエスは続けておっしゃいます。悲しんでいる人はさいわいだ、彼らは慰められるであろう。主イエスがここでおっしゃる慰めとは何でしょうか。
1 心のいやし
神は私たちの心の傷にふれていやしてくださる。悲しみの中にある私たちに近づいて、涙をぬぐってくださる。主は上から目線でしっかりしろと励ますお方ではありません。主はあなたの気持を知っておられる。そして、分かるだけでなく、どんな傷もいやして、その悲しみを喜びに変えることがおできになるのです。
2 罪のゆるし
私たちにとって最大の悲しみは、自分の罪深さのゆえに神の前に立つこと、神に近づくことができないということです。けれども、私たちを裁くべき主ご自身が、私たちのために救いの道を開いてくださって、私の罪をゆるし、臆することなく、神に近づくことができるようにしてくださいました。私たちはやましいことがあると、まだ怒ってるかなあ、あれだけのことをしてしまったからなあ、と相手の顔色をうかがいます。そう言う意味では本当に、私たちは神様のみ顔を見ることができないなあと思います。けれども主は私たちのために罪のゆるしを与えて下さる。これは私たちにとって最大の慰めなのです。
3 悲しみが終わる日が来る
私たちの目から涙が拭い取られる日が来ます。主が再臨され、新しい天と新しい地が創造される日です。その日には悲しみは永遠に消え去るのです。
4 主が悲しみを経験するあなたにゆだねておられる使命がある
悲しみを知っている人は、主からの慰めをいただくことができます。しかし、聖書はあなたが慰められ、少し元気になってよかったね、で終わらないのです。あなたがいただく慰め、それはあなたが慰められることによって、今度は同じように悲しみの中にいる人を、今度はあなたが慰めることができるようになる。今度はあなたが慰め手として生きていくのです。
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