わたしの霊による ゼカリヤ 4章1〜10節
万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。(6)
ゼカリヤが活躍したのは紀元前五百年頃です。イスラエルはバビロンに滅ぼされ、その神殿は徹底的に破壊されていました。しかし、バビロンもまたペルシャに滅ぼされ、ペルシャの王クロスはユダヤ人たちに自分の故郷に戻って、神殿を建て直すことをゆるしたのでした。それは決してやさしいことではなかったことでしょう。しかし、神は、わたしの霊がそれをするのだ!と政治的指導者ゼルバベルを励まし、宗教的な指導者ヨシュアを励まし、またイスラエルの民を励ましてくださったのです。
1 ゼルバベルの前に置かれた山
その神殿の再建工事は難航します。外側からの反対運動がありました。また内側からの弱さもありました。そもそも七〇年の時を大都市バビロンで暮らした人たちが荒廃したイスラエルに戻ってきて、しかも、自分の家を用意し、自分の仕事を建て直していかなければならない・・・そんな神殿のことばかりやっていられない。そして、また、ゼルバベル自身の戦いもあったことでしょう。一体、どうすればこの多くの問題を解決し、前に進んでいくことができるのか。それらはまさにどうにもうごきそうもない、大きな山に見えたことでしょう。
2 権勢によらず、能力によらず
ゼカリヤは権勢によらず、能力によらず、と言います。権勢とはいわゆる武力や集団の組織的な力のこと、能力とは個人的な才能のことと言ったりします。もとより、イスラエルには権勢などありませんでした。またゼルバベルにもそのような力はありませんでした。どんなに大きな軍隊を持ち、またとびぬけた知恵を持っていたとしても、もしあなたの力で、と言われたら無理というしかない。いいえ、私はがんばりますと言ったとしても、いいや、これはあなたの力やがんばりにはよらない、あなたの力でなんとかなることではない、と神はおっしゃるのです。
3 わたしの霊による
神がおっしゃるのは、わたしの霊によるということでした。それはまさに神がゼルバベルとヨシュアに油を注いでそのことをさせるとおっしゃるのです。
大きな山があります。しかし神の霊によって思いもしなかったようなことが起こってくる。大きな山も平地となってしまう。
私たちは新しい年を迎えています。「わたし」とおっしゃるお方がご自身の霊を私たちに注いでくださり、私たちを通して、私たちが想像もしなかったような大きな御業を行ってくださるのです。
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