わたしが命 ヨハネ 14章1〜6節
神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。(19:29)
わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらなければ、父のみもとに行くことはできない。(6)
1 主イエスはいのちにあふれている
主イエスはまさに、貧しい中にあっても、多くの誤解や非難・中傷にあっても、命にあふれておられました。主イエスは心を痛めたり、悩むこと・苦しむことも経験されましたが、同時にその中にあっても命にあふれておられました。主イエスにはいのちの源とつながっておられたからです。ひでりでカンカン照りで雨が降らず、あたりは干上がっている。でもその根を川に、水脈に伸ばしていたら、その木は枯れることはない。いつも青々として生気に満ちている(参 詩篇90:13-14、1:3、エレミヤ17:8)。主イエスのいのちの秘密は何か。それはまさに父なる神との生きた関係・交わりだったのです。
2 いつもおられるお方
それは主イエスが、いつも生きておられるお方であることをあらわしています。主イエスは命をもってこの地上を歩み、十字架で死なれましたが、三日目によみがえり、今も生きておられます。死はこのお方を閉じ込めることはできず、このお方に勝つことはできませんでした。主イエスは今も生きておられます。このお方は命だからです。
3 私たちを生かすことができる
単に主イエスが生きておられるというだけでなく、このお方はご自身を信じ、すがる者を生かすことがおできになります。最初神が人間を造られた時、主は人を土のちりで造り、その鼻から息を吹き入れられました。まさに主イエスは命。私たちを神に造られた人間として生かすことができるお方です。
聖書は言います。私たちが神に背を向けて歩むとき、私たちは罪の中に死んでいる。しかし、わたしは命だとおっしゃる主イエスは、私たちが罪赦され、神との親しい交わりを回復し、生きることができるようにしてくださったのです。主イエスはおっしゃいました。私はあなたがたに豊かに命を得させる。そのために私は命を捨てたのだ。
そして、このお方は私たちに永遠の命を与え、この地上の生涯を終えた後も残る命を与え、喜びの中に父なる神の御前に立たせてくださるのです。
主イエスはおっしゃいました。わたしが命だ!あなたを生かすのは私だ。この命の源であるイエスさまにつながりませんか。「そうです、あなたは命です。どうぞ、私を生かしてください」・・・そのように求めようではありませんか。
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