信仰はレース ヘブル12章1〜2節
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。 (2)
聖書の中にはスポーツの話がいろいろ出て来ます。ヤコブは神の使と組み打ちをしました。パウロはボクシングの話を持ち出して「自分は空を打つような拳闘はしない」と言いました。
今日の聖書の箇所でヘブル書の記者は信仰の歩みを競走にたとえています。しかも、それはリレーだというのです。先に走った走者たちがいます。彼らは走り終えて神の御許に帰りました。しかし、彼らが報われるためにも、そのバトンを受けた私たちが自分のレースを走らなければならないというのです、そして私たちのレースには大事なことがあります。
1 罪や重荷をかなぐり捨てること
競走においては身軽であることが求められます。いろいろな荷物を背負い込んだままではレースを走ることはできません。それがすばらしいものであっても、主に従う時に置いて行くべきものがあります。ヘブル書の記者はからみつく罪と言います。それはまさに死にものぐるいの戦いです。かなぐり捨てる覚悟が必要です。しかし、悪魔の力に打ち勝ってくださった主イエスは勝利を与えて下さいます。
2 主イエスを仰ぐこと
ヘブル書が書かれた時代、教会はすでに迫害の下にありました。苦しみの中で、神様の愛さえも信じられないところを通ることがあったでしょう。私たちは試練の中で苦しみ叫びます。しかし、試練は、神が私たちを愛しておられるしるしです。その中で、神はあなたをご自身のきよさにあずからせようとしておられるのです。主は私たちを支えてくださいます。
では、私たちの仰ぐ主はどのようなお方なのでしょうか。
@信仰の創始者・導き手
このお方は私たちの信仰をつくってくださったお方、導き手です。このお方がいてくださるから、私たちの信仰による救いがあるのですし、このお方は私たちを信仰に招いてくださいました。このお方は私たちに人間として神を信じ、神に信頼して歩むとはどういうことかを示し、また十字架において、私たちのために救いの道を開いてくださったのです。
A信仰の完成者
私たちは信じても、その信仰の道を最後まで歩むことができるかどうか、自信がもてないかもしれません。しかし、主は私たちの信仰を完成し、喜びをもって、神の御前に立たせてくださるお方です。まさに信じることも神の業なのです。
多くの証人たちが雲のように私たちを取り囲んでいます。喜びをもって与えられたレースを走って行きたいと思うのです。
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