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マタイ 27章1〜10節     2012年4月10日

そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。(3〜4)

 ユダは、イエスが罪に定められ、死刑を宣告されるとは思っていなかったのでしょう。自分のしてしまったことの大きさに打ちひしがれます。確かに銀貨三十枚を受け取った時には、主イエスを捨て、主イエスの弟子として生きることをここで止めて、受け取ったお金で違った人生を歩もうとしていたのでしょう。彼はイエスに魅力を感じなくなり、イエスの弟子として生きるすばらしさが分からなくなっていました。
 けれども、彼は目が覚めたのです。銀貨三〇枚を返して言います。「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。ユダも主イエスが罪のない方であることを知っていました。そして、自分がしてしまった罪を悲しみます。そして「自分で始末すればいい」という言葉を聞いて、首をつって死んだのでした。私たちは自分の罪の始末を自分でつけることはできません。まさに、そのような私たちのために、主イエスが十字架にかかって死んでくださったのです。私たちにできるのはただ悔い改めて主イエスにすがることです。

マタイ 27章11〜26節     2012年4月11日

そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。(26)

 総督ピラトはローマ皇帝に権威をゆだねられて、ユダヤを治めていました。主イエスはユダヤ人議会で冒?罪による死刑を宣告されていましたが、ローマ統治下のユダヤでは、自分たちで死刑を行うことはできません。祭司長・長老たちは、主イエスをピラトのもとに引いていき、罪状をすり替えて、主イエスを「ユダヤ人の王」を名乗り、ローマ皇帝に反逆する者として訴えます。
 けれどもピラト自身はイエスに罪がないことを知っていました。ピラトが見ていたのは宗教家たちの下心であり、イエスに対するねたみでした。ピラトはイエスをゆるす口実として、祭の時の恩赦について触れます。しかし、群衆はバラバをゆるし、イエスを十字架につけるようにと要求します。ピラトが予想もしないことでした。ピラトの提案が裏目に出てしまったのです。バラバは釈放され、イエスは十字架に定められたのでした。ゆるされるはずのない者が罪のない者として自由にされました。罪のないお方が身代わりになって、罪を負って死んでくださったからです。

マタイ 27章27〜31節     2012年4月12日

また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。(29)

 十字架刑の判決を受けた主イエスはローマの兵隊たちによって辱められます。全部隊が主イエスの回りに集まります。主イエスは赤い外套を着せられ、いばらの冠をかぶらされ、杓の代わりに葦の棒をもたされて立ちます。兵士たちは「ユダヤ人の王、ばんざい」とその前に嫌みたっぷりにひざまずきます。そのあげく、イエスにつばきをかけたり、葦の棒で頭をたたいたりして、さんざん馬鹿にしたのでした。しかし、王の王、主の主、世界の造り主である神の子イエスは、何の反抗もせずに、されるがままになっていました。
 人々が求め、あこがれるのはローマ皇帝のような姿の王です。そして、「ののしられてもののしりかえさず」(Tペテロ二23)という姿の主を見つめて、何とみっともないのだろうと思います。イザヤが五三章で「彼は侮られて人に捨てられ・・・顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」(3)と言うとおりです。しかし、このいばらの冠をかぶり、はずかしめられた主イエスこそが、私たちの救い主であり、王の王なのです。

マタイ 27章32節     2012年4月13日

彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。(32)

 クレネとは、北アフリカ、今で言うリビアにあった地中間沿岸の主要都市でした。そのクレネ人の男が主イエスの十字架のそばに居合わせて、主イエスの十字架を無理やり負わされます。もし、この男が、過越の祭を祝うためにクレネから巡礼の旅に来ていたとしたら、本当に迷惑な話です。クレネからエルサレムまで旅ができたということはそれなりに財産のある人物だったでしょうし、そのために相当の準備をしたはずです。であるのに、呪われた十字架を負ってしまったら、汚れた者として、おそらく祭に加わることができなくなってしまいます。けれどもローマの兵隊に歯向かえるはずもなく、彼は無理に十字架を負わされてしまったのです。私たちの生涯にも自分の思いとは違うところで、無理やりに負わされてしまう苦難・重荷があるかもしれません。
 ただ、マタイは、この男の名前をシモンと記録しています。聖書の読み手たちに、シモンは知られていただろうとされています。つまり、この主イエスの十字架を負うという出来事が、彼とその家族の生涯に大きな変革と救いを与えたのです。

マタイ 27章33〜44節     2012年4月14日

「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい・・・」。(42〜43)

 ゴルゴタについた主イエスは十字架につけられます。頭の上の方には「これはユダヤ人の王」という罪状書きが掲げられ、右と左にはふたりの強盗がつけられていました。
 人々は十字架の下を通りながらイエスをあざけりました。「もし、神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」「他人を救ったが自分を救うことができない」「いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう」「彼は神にたよっている・・・今、救ってもらうがよい」。イエスは十字架にからおりられなかったのではありません。自分を救おうと思ったらできたはずです。けれども、主イエスはそれをなさいませんでした。十字架からおりてみろ、というのは主イエスの生涯を通じて語られ続けた誘惑でした。けれども主イエスは、その声をしりぞけ、最期まで父なる神に信頼し、十字架の道を進んで、私たちのために救いを開いてくださったのです。

マタイ 27章45〜49節     2012年4月15日

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(46) 

 主イエスは午後三時頃に大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれます。人々の耳にその叫びが響き、その耳に残ったのでしょう。この叫びは、詩篇二二篇にある叫びでもあります。詩篇二二篇の作者はとても大きな苦悩を経験しました。けれども、彼の体験は救い主において実現する預言ともなったのでした。詩篇二二篇には十字架の場面と重なる言葉がいくつもあります。
 まさに主イエスは十字架の上で、私たちの罪を負い、呪われた者となって、父なる神に捨てられてくださいました。十字架の苦しみは肉体的な痛み、また人々のあざけりの中に置かれるという精神的な苦しみという以上に、まさに罪人として神から捨てられるという霊的な苦しみだったのです。けれども、その苦しみによって、私たちのために救いの道が開かれました。主イエスが私たちの罪を負って死んでくださったので、自分の罪を認め、悔い改めて信じる者は皆、救いをいただくことができるのです。

マタイ 27章50〜56節     2012年4月16日

すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。(51)

 神殿の中心は「聖所」でした。そして聖所の最も大切な部分は「至聖所」と言いました。そして至聖所は厚さ三十センチにもなる幕で隔てられていました。その幕の内側の至聖所には軽々しく入ることはできません。それは死を意味していました。聖なる神の前に汚れた私たちは立ち得ないのです。ただ一人、大祭司だけが、年に一度、しかも動物の血を携えて近づく時にだけその内側に入ることができました。
 けれども、主イエスはご自身の十字架の血潮をもって、神に近づき、罪のゆるしときよめを全うされました。主イエスの血によるあがないによって、私たちはもう動物の血を携えて行く必要はなくなりました。あの至聖所を隔てる隔ての幕が上から下まで真っ二つに裂けてしまいました。それは神がしてくださったことです。もうその幕は必要なくなったのです。
 私たちは主イエスの血潮のゆえに聖なる者とされ、喜びをもって奥の間まで入って行くことができるようにされました。主イエスは挫折したのではありません。主イエスは見事になし遂げてくださったのです。

マタイ 27章57〜61節     2012年4月17日

夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。(57)

 アリマタヤというのは、エルサレムの北西三四キロほどの町で、サムエルの出身地であるラマタイムと同じところと言われています。このアリマタヤ出身のヨセフが総督ピラトのもとに行って、主イエスの体の引き取り方を願い出ます。このヨセフは金持ちであり、また他の福音書を見ますと、ユダヤ人議会の議員の一人だったことが分かります。彼はイエスの弟子でした。
 彼は主イエスを死刑にすることに当然賛成はしませんでした。ただ大きな流れを食い止めることはできませんでした。ヨセフの中にも恐れがあったことでしょう。けれども、ここで彼は自分の旗色を鮮明にします。自分はイエスの弟子だ、イエスを愛し、イエスを敬い、イエスを慕う者の一人だ、ということを公にするのです。そもそもローマから反逆罪に定められて処刑された人を丁寧にまた立派な墓に葬るということは大きなリスクにもなりかねません。けれども、彼はここで自分にできる最善を主イエスのためにしたのでした。あなたは主イエスの弟子として自分を公にしていますか?

マタイ 27章61〜66節     2012年4月18日

長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。(63)

 主イエスはご自身が苦しんで死ぬことを何度も予告しておられました。けれども主イエスの受難の予告はそれで終わらないで、三日目によみがえるという復活の予告が伴っていました。イエスの弟子たちは主イエスの受難を受け入れることが出来ませんでしたから、その後半の部分は全く耳に入れていなかったのかもしれません。また主イエスの死という現実の前に、全く期待もしていなかったのでしょう。弟子たちの誰も主イエスの復活を予想し、信じて待つ人はいませんでした。
 皮肉なことに、主イエスの復活の予告を真剣に受け止め、心配していたのは、主イエスを十字架にかけた祭司長、パリサイ人たちでした。彼らはピラトに番兵を出してほしいと願い出ます。主イエスの墓の前では武器を執った番兵たちが見張りをすることになりました。誰もイエスの墓に近づくことは出来ないし、ましてやその口に置かれた石をどけることはできない状況です。けれどもその墓の大きな石も、封印も、番兵も、主イエスの復活の力をとどめることはできなかったのです。


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