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ルカ 1章1〜4節     2012年7月29日

すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。(4)

 新約聖書の第三番目の福音書に入っていきましょう。聖書本文の中には、この福音書を書いたのがルカであるとは書かれていません。ただその出だしの所の文言から、ルカによる福音書と使徒行伝の作者が同一人物であることが分かります。そして使徒行伝の中にある「私たち」という一人称の叙述(その中には著者が含まれています)や、一、二世紀の歴史的文献から、この福音者はギリシャ人であり、医者であって、しばしばパウロの伝道旅行に随行したルカだっただろうとされています。
 ルカは、ギリシャ・ローマ世界に広がるキリスト教に対する誤解を解くべく、主イエスの生涯を綿密に調べ、極力時系列順に整理していきました。うわさ話や誤解によって物事を判断するのではなく、実際に起こったことども、実際に主イエスの語られたことを、直接その話を聞き、また奇跡を見た人々の証言を集めながら、書き連ねていったのです。私たちの信仰の根拠にはまさに歴史上を実際に歩まれた主イエスの姿があるのです。 

ルカ 1章5〜25節     2012年7月30日

わたしは・・・この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから・・・(19〜20)

 ヘロデ大王がユダヤを納めていた時代、ザカリヤとエリサベツという夫婦がいました。ザカリヤはエルサレムで神殿の奉仕をする祭司でした。ザカリヤとエリサベツは神を畏れるすばらしい人物でした。彼らは自分たちに子どもが与えられるように祈っていましたが、彼らの間には子どもがなく、すでに彼らは年老いていました。
 あるとき、ザカリヤが一人で聖所の務めをする当番に当たって、彼は主の聖所で香をたいていました。
 そこにみ使いガブリエルが現れて、ザカリヤ夫妻に神の特別な使命を帯びた子どもが生まれると伝えたのでした。けれどもザカリヤは、待ち望んでいた喜ばしい知らせだったにもかかわらず、その約束が与えられた時に、語られた神の言葉を信じることができませんでした。
 ザカリヤは口がきけなくされました。彼の口からはもう不信仰な言葉は語れません。次に、彼が口を開いたときには彼はただただ神を賛美したのでした。

ルカ 1章26〜38節     2012年7月31日

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。(38)

 御使ガブリエルは今度はガリラヤのナザレという町にいたマリヤのところに遣わされます。ガブリエルはマリヤに「恵まれた女よ、おめでとう」と声をかけます。マリヤは旧約聖書に約束されていた救い主の母親として選ばれたのです。ただ、マリヤはこの挨拶にある意味動揺します。マリヤはヨセフと婚約していましたがまだ結婚していません。みごもって男の子を産むと言われてもどう考えたらよいのでしょう。
 ガブリエルはそんなマリヤに、聖霊の力によって、神の子を宿すのだと語ります。そしてマリヤの親族のエリサベツに起こった事を思い起こすように促すのでした。確かにエリサベツは老年になって子を宿していました。そしてこの子どもにまつわる不思議な話をマリヤも聞いていたことでしょう。
 「わたしは主のはしためです」。マリヤは自分が主のものであり、主に従い、主に仕える者であることを告白したのでした。

ルカ 1章39〜45節     2012年8月1日

主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。(45)

 マリヤは自分の親族のエリサベツのところを訪ねます。マリヤが妊娠した時、一体どれだけの人たちがマリヤの話を信じたでしょう。また実際にはマリヤ自身、信じてもらえないことを承知の上でいろいろな人に相談することはできなかったことでしょう。けれどもこのエリサベツは別でした。このザカリヤとエリサベツの夫婦はマリヤの話をそのまま信じてくれたはずです。ザカリヤのところにも同じガブリエルが現れたのですから。それ以上に、絶対にあり得ないことが彼ら自身の上にも起こっていました。その意味で、マリヤがみごもる前に神さまがザカリヤとエリサベツに子を与えられたのは神の大きな知恵だったとも言えます。
 マリヤがエリサベツを訪ねた時、エリサベツのお腹の子が踊りました。エリサベツは心からマリヤを祝福しました。マリヤが、御使の伝えた神の言葉をそのまま信じたことを知っていたからです。主の御言は今も真実です。必ず成就していきます。私たちは主の言葉をそのまま信じる信仰に生きているでしょうか。

ルカ 1章46〜56節     2012年8月2日

わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。(47〜49)

 マリヤは心から主を賛美します。このマリヤの賛歌は、サムエル記上二章のハンナの賛歌との類似していると指摘されることがあります。おそらくマリヤは聖書と親しむ中で、このハンナの賛歌も暗唱するほどに親しんでいたのでしょう。
 マリヤの胎にいる赤ちゃんは、旧約聖書の中でアブラハムの時代からずっと約束され、待ち望まれていた救い主でした。まさにその御言に対するご真実を、主は明らかにしようとしておられました。救い主の誕生が期待されている中で、イスラエルの女性たちは誰もが自分の子が救い主になるかもしれないという期待を持っていたことでしょう。けれども主はナザレの一処女を選ばれました。
 マリヤは自分のことを「この卑しい女」と言います。決して家柄が良かったわけでも、裕福な家庭に育ったわけでもありません。でもそんな一少女に神は目を止めて、力あることをしてくださったのです。

ルカ 1章57〜66節     2012年8月3日

ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。(63〜64)

 さてマリヤはエリサベツのところに三ヶ月滞在しました。マリヤはおそらくエリサベツのところでつわりの時期を過ごして、安定期になってからナザレに帰ったのでしょう。エリサベツのところに赤ちゃんが生まれるのを見届けたのかもしれません。
 エリサベツはついに男の子を出産しました。八日目に男の子に割礼を施し、名前をつけようという時に、周りの人々は、父親の名前にちなんでザカリヤとつけようと言います。けれども、神がその男の子に与えようとしておられたのは「ヨハネ(主は恵み深い)」という名前でした。ヨハネという名前にしなくてはいけなかったのです。
 口のきけなくなっていたザカリヤも書き板に「その名はヨハネ」と書きます。その時に、彼の口が開けてしゃべれるようになったのでした。そして、彼は心から神さまをあがめ、その御業を賛美しします。彼は自分の身に起こったことを証しし、救い主が来られる時が近づいていることを語ったに違いありません。

ルカ 1章67〜80節     2012年8月4日

幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。(76〜77)

 ザカリヤが聖霊に満たされて語った賛美と預言の言葉が続きます。ザカリヤはヨハネの誕生が、救い主の誕生が近づいているサインであることを知っていました。神は、アブラハムに約束しておられたことを、またダビデに約束しておられたことをいよいよ実現しようとしておられたのです。
 けれども、それは単に、異国の支配からイスラエルを解放しダビデの王国を政治的・軍事的に再興する救い主ということではありませんでした。この救い主がもたらそうとしていたのは、罪のゆるしによる救いでした。そして、単に救われるだけでなく、救われた者たちは「生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく」主に仕えていくのです。
 ザカリヤの子どもとして生まれたヨハネはまさに、このような救い主をお迎えする道備えをする使命を与えられていたのでした。


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