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テトス 1章1〜4節     2014年7月6日

神は、定められた時に及んで、御言を宣教によって明らかにされたが、わたしは、わたしたちの救主なる神の任命によって、この宣教をゆだねられたのである――(8)

 テトスはシリヤのアンテオケ出身のギリシャ人だったと考えられています。紀元五十年のエルサレム会議の時には、パウロやバルナバに同行してエルサレムに上っています。そして、またパウロの伝道旅行にも同行し、三回目の伝道旅行の時にはコリント教会の問題解決のために、エペソからコリントに派遣されています。パウロがこの手紙を書いたときには、クレテにいて、その地の教会を指導していましたが、後にはローマのパウロの元からダルマテヤ(現在のユーゴスラビヤ)に遣わされたことが分かっています(Uテモテ四10)。
 パウロは、自分を「神の僕」「イエス・キリストの使徒」と呼び、御言の宣教をゆだねられた者としての自覚を持って歩んでいます。そして、パウロはテトスのことを「信仰を同じうする真実な子」と呼んでこの手紙を書き、同じ使命に生きる、神によって召された同労者として励まし、また指導したのでした。。

テトス 1章5〜9節     2014年7月7日

あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない。(5)

パウロは各地を旅しながら宣教していきました。それぞれの土地にあまり長く滞在することはありませんでした。それはユダヤ人たちの間に広まっていた「会堂」のシステムがあったからかもしれません。ユダヤ人たちは世界中に散って、それぞれの住んでいる地に会堂を建て、そこで礼拝を守る形ができていたからです。そして律法の教師たちは各地を巡回しながら会堂に集まる人々を指導していたのです。
 パウロはクレテにおいても自らがそこに長く滞在するのではなく、テトスをそこに残し、そしてまたずっとテトスがその地にとどまって教会を指導するというのではなく、ふさわしい長老を立て、監督を立てるようにとテトスに指示したのでした。もちろん、そういった教会のリーダーたちには、信仰とそれにふさわしい生活が求められたのでした。教会は牧師が建て上げるのではありません。神に立てられ、賜物を与えられたお互いがそれぞれの荷を負い合う中で主が建て上げてくださるのです。

テトス 1章10〜16節     2014年7月8日

彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。(16)

 パウロがテトスに対して長老や監督の条件について事細かく指示をしているのには理由がありました。健全な信仰からずれてしまっている人たちがいて、そういう人たちが案外、教会の中で大きな影響力を持っていたからです。彼らの多くは割礼を受けていました。異邦人として生まれながら、律法主義的な教えに触れる中で割礼を受け、それを誇りとしていたのでしょう。彼らは神を知っていると言い、人々を教え、また自分の立場を主張するためには無理な議論をまくし立てます。しかし、その生活は乱れ、また彼らの教えに従う人々の家庭までも破壊していったのでした。
 確かに多くのクレテの人々は、そのような生き方をしていたのでしょう。しかし、主イエスを信じて、神を知るものとされたら、新しい生き方をすべきです。割礼や律法のわざだけを誇り、古い生き方を続けているとしたら、神を知っていることにはならない、とパウロは言うのです。



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