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エペソ 1章1〜6節     2014年3月10日

神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、(3〜4)

 エペソ人への手紙は「獄中書簡」の一つと言われ、パウロが使徒行伝二八章のローマ拘留中に獄中から、アジア州第一の都市であり、パウロが三年以上にわたってとどまって福音を伝え、教会を建て上げていったエペソの教会に宛てて書かれた手紙です。他の手紙と同じように、パウロはまず挨拶と祈りをもってこの手紙を始めます。
 そして、続いて、父・子・聖霊の三位一体の神を讃えます。最初に今日の聖書の箇所に出てくるのは父なる神への賛美です。
 父なる神は私たちを天地の造られる前から選んで下さいました。私たちは偶然の結果、生まれたのではありません。神は天地創造以前から、私たちを知っていてくださったのです。神さまは特別な目的をもって私たちを創造し、私たちの選んでくださいました。それはわたしたちが神の子となるため3、御前にきよく傷のない者となるためだったのです。

エペソ 1章7〜12節     2014年3月11日

わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。(7) 

 パウロは、私たちを選んでくださった父なる神を讃えた後に、今日の箇所では御子なるキリストを讃えて賛美しています。神は私たちを救うために、大きな計画を持っておられました。そして、時が満ちて、神はその御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。そして、その尊い御子が流された血によって、私たちの罪のあがないが成就したのです。罪人の私たちの罪が赦される道が開かれたのです。
 けれども神のご計画はそれで終わりません。神はこの御子イエスのあがないによる救いによって、すべてのものをキリストにあって一つにされました。すべてのものをキリストの権威の下に置かれたのです。天にあるものも地にあるものもすべてのものがキリストの下に集められて神を讃えます。キリストにこそ望みがあります。キリストはどんな者でも救うことができます。そして、キリスト以外には救いはどこにもないのです。

エペソ 1章13〜14節     2014年3月12日

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。(14)

 さて、パウロは父なる神、御子なるキリストを讃えた後に、このところでは聖霊なる神を讃えます。私たちが福音を聞き、主イエスを信じるときに、神は私たちに聖霊を与え、神の救いにあずかったことを、私たちに確信させてくださいます。聖霊が私たちの罪が赦されたことを私たちに悟らせ、また、単に過去の罪から救われただけなく、今、自らが神につくものであることを知らせて平安を与え、やがて私たちが神の国をつぐものであることを保証してくださるのです。
 それは私たちの救いの完成の日です。それは今、私たちが経験している救いが不完全だと言うことではありません。私たちが与えられているのは完全な救いです。しかし、同時に、私たちはその全部を知っているわけではありませんし、その全部を経験しているわけでもありません。そして、また神がその救いの中で与えようとしておられる救いのある側面は、「約束」という形で手渡されています。しかし、それは「不確か」ということではありません。聖霊によって保証されているからです。

エペソ 1章15〜21節     2014年3月13日

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、(17〜18) 

 この手紙はキリスト者たちに対して書かれています。しかし、ここでパウロはエペソの人々のために、「神を認めさせてくださるように」「心の目を開いてくださるように」と祈ります。もちろん、神を知らないわけではありません。しかし、神を知った私たちが、さらに具体的な歩みの中で、また歴史の中に働いておられる神を知ることはとても大切なことです。私たちは、分かっているようで、案外分かっていないし、見えているようで案外見えていないのです。
 心の目が開かれてると、神に召されて私たちが抱いている望みがどんなに大きなものかが見えてきます。私たちがつぐ神の国がどんなにすばらしいものかが見えてきます。また神が今も、信じる私たちのうちに力強く働いておられることを知るようになります。その神の力はまさにキリストを死人の中からよみがえらせた力なのです。

エペソ 1章20〜23節     2014年3月14日

この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。(23)

 キリストが死者の中からよみがえられたとき、神はキリストをご自身の右の座につかせ、すべてのものをその足の下に置かれました。主イエスはすべてを越える権威をもっておられます。そして、神はこのキリストを教会にかしらとして与えられたのです。
 エペソ書の大きな主題は「教会」だと言われます。教会(エクレーシア)は「呼び出された者たち」という意味のある言葉です。旧約聖書で「主の民」という言葉が新約聖書の「教会」につながっています。まさに、神は私たちを罪の中から呼び出して、ご自身の民としてくださったのです。
 そして、教会にはかしらがあります。それがキリストです。そして教会はキリストのからだです。そこには命のつながりがあります。そしてこのいのちのつながりによって、教会には神が満ち満ちておられます。そのようなつながりの中に生かされて教会はかしなるキリストにどこまでも仕えるのです。 



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