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エペソ 5章1〜7節     2014年3月27日

あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。(1〜2)

 私たちが今日ももう一度、御言からまず確認させていただきたいことは、私たちは神に愛されていること、神の子とされているということです。私たちの生涯の中に何があったとしても、それは神が私たちを嫌い、憎み、見捨てておられるしるしではありません。あなたは神に愛されている子どもです。そして神はあなたを大事に思い、いつもあなたと共にいて、またあなたの生涯を導いてくださいます。
 それでも神の愛が分からなくなる時には、どうぞキリストが私たちを愛して何をしてくださったかを思い起こしてください。主は私たちを愛して、私たちのために命を捨ててくださったのです。
 そして、それほどまでに神に愛していただいている、ということを知っているお互いは神の前に正しい生き方をすべきです。不品行に陥ったり、卑しい言葉や淫らな冗談を口にしたり、偶像を礼拝することがあってはなりません。それは私を愛してくださる主がお嫌いになることだからです。

エペソ 5章8〜14節     2014年3月28日

あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。(8) 

 私たちは主を信じる前は、やみの中を歩んでいたというだけでなく、やみそのものでした。まさにそこにやみをもたらすようなものだったのです。けれども、光である主に照らされて、私たちは光とされました。光の子とされました。パウロはそこで、光の子らしく歩きなさい、と勧めます。これはまさに、キリスト者の信仰にとっては信じる瞬間、その決断が大事であるだけでなく、信仰の日々の継続的な積み上げ、その歩みが大切であることを示しています。
 光の子はやみのわざには加わりません。そもそも光と闇とは相容れないのです。そして、自分のやみのわざに気づいていない人には、それを指摘します。光の子の生活には裏表がなく、誰も見ていないような隠れたところにおいても何の恥じることもない生活をします。そして、主が喜ばれることが何であるかをわきまえ知りつつ、良い実を結んでいくのです。あなたも光の子です。あなたはどのような歩みをしているでしょうか。 

エペソ 5章15〜21節     2014年3月29日

あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、 16今の時を生かして用いなさい。(15〜16)

 パウロはここで、歩き方に注意するようにと言います。私たちの信仰は単に内心だけのものではなく、具体的な歩みに現れてくることが大切だからです。ではここではどのように歩くようにと言うのでしょうか。「賢くない者のようにではなく、賢い者のように」とパウロは勧めます。
 賢くない者は、酒に酔い、乱行に身をもちくずします。彼らは今が楽しければよいとして、時代の影響に巻き込まれていき、神の御旨が何かということに対しても無頓着です。それに対して、賢い者は今の時を知り、今の時を大切に用いていきます。神の御旨を知って自制をします。御霊に満たされて共に歩み、共に主に向かって心からの賛美をします。すべてのことについて、いつも神に感謝し、神を畏れて互いに仕え合います。「ああ、これは無理だ」と言わないでください。主があなたに知恵を与え、そのような歩みをさせてくださるからです。

エペソ 5章22〜33節     2014年3月30日

妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい・・・夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。(22、25) 

 結婚式の時に必ず読まれる聖書の箇所です。まず妻に対する教えで始まり、夫に対する教えが続きます。これはまず妻が最初に従いなさい、ということではありません。どちらが先かというと、夫と妻の関係がが指しているのがキリストと教会の関係だということになると、まず夫が命をかけて愛する決断をし、行動することが大切です。ただもちろん、いずれにしても、相手に求めるのではなく、自分が最初の一歩を踏み出すことです。
 現代において、妻に対しては仕えるようにと勧め、夫に対しては愛するようにと勧めるのは時代錯誤でしょうか。もちろん、これは妻に愛さなくてよいと教え、夫に仕えなくていいと教えているのではありません。夫も仕えますし、妻も愛します。また、これは男性の方が優れているというのではありません。ただ、家庭の秩序を守るという意味においては、夫にはかしらとしての責任があるのだと教えているのです。


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