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使徒行伝 1章1〜5節     2013年4月14日

イエスは・・・自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、・・・神の国のことを語られた。そして・・・お命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい・・・」。(3〜4)

 この1節のところから、この使徒行伝(使徒の働き、使徒言行録)はテオピロという一人の人に書かれたものであること、またこの書は第二巻であって、主イエスの生涯をその召天まで書き記した第一巻があったということが明らかです。そして、ルカの福音書の冒頭にも「テオピロ閣下」とあることから、このルカによる福音書と使徒行伝はセットであって、ルカによる福音書の著者と使徒行伝の著者が同じ人物であることを知るのです。そしてルカ福音書は主イエスの生涯を、この使徒行伝は初代教会の歩みを記録しています。
 主イエスは復活して後、四十日間にわたってご自身を弟子たちに表されます。この四十日間は、主イエスの復活が確かであることを表すためであり、神の国について教えるためであり、また聖霊を待ち望むことをもう一度弟子たちに教えるためでした。聖霊が与えられるまでは待つことが求められていたのです。

使徒行伝 1章6〜11節     2013年4月15日

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。(8)

 弟子たちは復活の主イエスを見、そして主から神の国について教えられても、まだ、主イエスが政治的軍事的な意味での王として人々に迎えられる日を期待していました。しかし、主はやがて栄光のうちに全地を治めるために来られる日が来ることを待ち望みながらも、その時期や場合は今ではなく、父なる神だけが知っておられる、とおっしゃいます。
 けれども弟子たちにとってもっと大事なことと主が思われたのは、弟子たちに聖霊が与えられるということでした。聖霊は弟子たちを主イエスの証人としました。弟子たちはエルサレムで証しを始めました。そして、その福音はユダヤ、サマリヤに拡がり、さらに地の果てまで伝えられていくことになっていました。聖霊は弟子たちをそのための証人としていくのです。
 主は弟子たちの見ている前で天に帰っていかれました。その日以来、教会は主の再臨を持ち望んでいるのです。

使徒行伝 1章12〜14節     2013年4月16日

彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。(14)

 主イエスが昇天されるのを見送った後、弟子たちはエルサレムに帰って、その泊まっていた屋上の間に上ります。そこに集まったのはすでに死んでいたイスカリオテのユダを除く十一人の弟子たち、主イエスの一行に従って来ていた者たち、イエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟たち合わせて百二十名。彼らは主が命じられた通りに、エルサレムから離れないで、聖霊が与えられるのを祈り待ち望んでいました。
 彼らは「心を合わせて」祈っていました。集まるとすぐに誰が一番偉いかと議論になるような弟子たちです。けれども、祈る中で心がひとつにされていったのでしょう。また彼らは「ひたすら」祈っていました。動くのは得意だけれど、ジッとして主の前に祈るのはどちらかというと苦手な弟子たち・・・。しかし、彼らはこの事に心を注ぎ、集中して祈っていました。いつ、聖霊が下られるかはまだ分かっていません。けれども彼らは主の約束を信じて祈ったのです。 

使徒行伝 1章15〜26節     2013年4月17日

それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。(26)

 祈っていく中で、弟子たちに示されていったことがありました。それはイスカリオテのユダの代わりに誰かを十二弟子に加える、ということです。十二という数には、特別な意味がありました。それはイスラエルの部族の数でもあり、聖書の中では特別な意味をもった完全数の一つです。
 ペテロが立ち上がり、聖書の御言を引用しながら、自分たちの目の前で起こった事がどのようなことだったのか、また今、自分たちが何をしなければならないのか、を語ります。一介の漁師であったペテロがこのような聖書理解ができるようになっていることはとても驚きです。この使徒としての欠員を補うことは、ペテロだけではなく、祈っている一同の思いでもあったのでしょう。
 最初の時期から主イエスと行動を共にしていた人たちの中から二人がまず候補者として立てられます。ヨセフとマッテヤです。くじはマッテヤにあたり、彼が十二弟子に加えられたのでした。そこには平和と一致と秩序がありました。


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