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使徒行伝 21章1〜6節     2013年7月21日

ところが彼らは、御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した。しかし、滞在期間が終った時、わたしたちはまた旅立つことにした(4〜5) 

 エペソの長老たちと分かれたパウロと一行は舟で旅を続け、やがてツロに入港し、積み荷を降ろすためにそこに七日間滞在します。ツロにも主を信じる兄弟たちがいました。しかし、ツロの兄弟たちは、エルサレムに向かっているパウロに、その都でどんなに大きな危険が待ち受けているかを、御霊によって示されます。そのことを知った時、彼らはエルサレムに上っていかないようにと、しきりに注意したのでした。
 人間的には当然のことだと思います。しかし、一週間後、舟が出る時に、パウロは舟に乗り込みます。パウロにとって危険があるからエルサレムに行かないということは、まさに神に背くことでもあったのです。
 ツロの海岸にキリスト者たちが集まります。家族ぐるみでパウロたちに別れを告げに来たのです。そして海岸で一同はひざまづいて、共に祈ったのでした。主にある交わりと祈りの中でパウロはまた送り出されていきます。

使徒行伝 21章7〜16節     2013年7月22日

その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。(13)

 やがてパウロとその一行は船旅を終え、カイザリヤに到着します。カイザリヤにはローマの陣営があり、大きな港がありました。一行はカイザリヤで伝道者ピリポの家に泊まります。ピリポはあの使徒行伝六章で選ばれた七人の執事のひとりです。彼には四人の娘たちがいましたが、それぞれ御言を語る働きをしていました。ピリポの家での滞在はどんなにパウロにとって大きな慰めであったことでしょう。
 そこにユダヤから預言者アガボがやってきます。アガボはパウロがエルサレムで捕らえられて、ローマ人の手に渡されることを予告したのでした。
 そのことを聞いた人々はカイザリヤの人々も、パウロと一緒に旅を続けてきた一行も、エルサレムに行かないようにとパウロに懇願します。しかし、パウロはすでに覚悟ができていました。主イエスの名のためなら、死ぬことをも覚悟している、とそのように言い切るのでした。

使徒行伝 21章17〜26節     2013年7月23日

一同はこれを聞いて神をほめたたえ、そして彼に言った、「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちである・・・」。(20)

 いよいよパウロとその一行はエルサレムに到着しました。そしてエルサレム教会と異邦人教会の代表者たちとのとてもさいわいな交わりの時がもたれたことでしょう。パウロは異邦人教会でなされている神の御業について報告しました。パウロと一緒にやって来た各地の代表者たちは、神がイエス・キリストを通して何をしておられるかの力強い証しだったことでしょう。また異邦人教会から託されたエルサレムの貧しい信者たちへの献金もエルサレム教会に対する異邦人教会への深い愛の表れとして受け止められたことでしょう。
 しかし、同時にエルサレム教会の指導者たちは、パウロに対して様々な反対や非難があり、また実際にパウロの殺害をたくらむ者たちがいることも知っていました。エルサレム教会のリーダーだったヤコブと長老たちはパウロに対する非難が言われのないものであることを証明する秘策を授けます。パウロも人々のアドバイスに従ったのでした。

使徒行伝 21章27〜36節     2013年7月24日

アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、「・・・この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。(27〜28) 

  さて、パウロがエルサレムに来たのは五旬節の祭の時で(二〇16)、世界中からの巡礼者たちも集まっていたことと思われます。その中にはアジア州でもパウロに出会い、パウロに対して反対していた人々もいました。そしてパウロを見つけて、手をかけ、人々に加勢を求めて、パウロを宮の外に引っ張り出し、パウロを打ちたたいて殺そうとしたのでした。
 パウロは律法をよく知っていましたし、また律法を愛していました。律法に従って生きることに命をかけていました。そしてまた律法を愛するということではこの時でも誰にもひけはとらなかったことでしょう。けれども、パウロは律法を完成してくださった主イエスと出会ったのです。またパウロほど、イスラエルを愛し、エルサレムを、そしてその民を愛していた人はいなかったでしょう。しかし、人々はそんなパウロを憎みました。けれども、主はローマの兵隊たちを遣わしてパウロを守られたのでした。

使徒行伝 21章37〜40節     2013年7月25日

パウロは答えた、「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。(39)

 パウロは自分を捕らえ兵営に連れて行こうとしているローマの千卒長にギリシャ語でお願いします。千卒長はパウロがギリシャ語を話すのを聞いて驚きます。パウロはローマの属州キリキヤの首都タルソで生まれて、流ちょうなギリシャ語を話したはずです。けれども同時に熱心なユダヤ教徒の両親に育てられて、小さい頃からヘブル語にも触れていましたからヘブル語も堪能で、いわばバイリンガルだったのです。
 パウロは最初は気がついていなかったかもしれませんが、神はパウロを選んで、特別な使命を与え、ローマ市民権を与え、またユダヤ人にもギリシャ人にも自由に福音を語ることのできる特別な器として準備をしてこられたのです。
 パウロが千卒長にお願いしたのは、民衆に話をさせてほしいということでした。パウロは証しをするチャンスをいつも狙っていたのでしょう。


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