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使徒行伝 13章1〜3節     2013年6月11日

一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。 (2)

 アンテオケの教会は主の恵みによって成長していったのですが、そこにバルナバやサウロをはじめとした多くの指導者や教師たちの存在があったことは確かでしょう。しかし、教会が主に礼拝をささげ、断食して祈っている時に、聖霊が彼らに迫りを与えられます。それは、バルナバとサウロをささげて送り出すようにという語りかけでした。彼らはその語りかけを共に聞いて、このことが主から出ていることであり、主がそのことを願っておられることを確信し、受け止めたのです。
 アンテオケ教会にとって、二人の存在はとても重要だったはずです。二人を送り出してしまったら、その後、教会はどうなるのだろうという漠然とした不安もあったことでしょう。しかし、教会は主に従う決断をして二人をいわば献げたのです。二人は新しい地に出発します。このことはまさに二人の献身であると共に、教会の献身でした。

使徒行伝 13章4〜12節     2013年6月12日

総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。(12)

 二人はバルナバのいとこにあたるヨハネ(マルコ)を助け手として同行させ、まず舟でクプロに渡ります。クプロはバルナバの故郷でもありました。彼らは島全体をめぐり、ユダヤ人の諸会堂で神の言を語り伝えます。さてバルナバたちは、パポスというところで総督セルギオ・パウロに出会います。この総督はもちろん異邦人でしたが、賢明な人で、バルナバとサウロを呼び入れて二人の語る神の言を聞こうとします。
 しかし、その時、総督のところに出入していた魔術師エルマが総督を信仰からそらそうと邪魔をします。それを見たサウロはエルマを叱りつけ、「当分、日の光が見えなくなる」と告げます。するとサウロが語った通りのことが起きたのでした。
 セルギオ・パウロはそれを見て驚き、主を信じました。このことは、教会の歴史の中でとても重要な意味をもっています。割礼を受けていなかっただけでなく、今まで特別に聖書の神を敬ってもいなかった普通の人が、ユダヤ教に関係なく、救われたからです。

使徒行伝 13章13〜26節     2013年6月13日

神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた・・・(23)

 使徒行伝ではこの後、「バルナバとサウロ」ではなく、「パウロとバルナバ」と呼ばれるようになります。この伝道チームにおいて、よりパウロがリーダーシップを取るようになったのでしょう。パウロたちはピシデヤのアンテオケ(二人を送り出したアンテオケとは別の地)に行き、安息日にユダヤ教の会堂を見つけてそこに行きました。その頃、どこでもユダヤ人たちが十家族以上いるとその町にユダヤ教の会堂ができた言われています。
 聖書朗読の後、奨励を求められてパウロは立ち上がります。そして、イスラエルの内に主がしてくださったすばらしい御業について語ります。それと共に、神がダビデに対して救い主を約束してくださっていたこと、そして、ダビデの子孫として生まれてくださった主イエスこそがその約束された救い主だと語ります。それはバプテスマのヨハネも語っていたことでしたが、まさにこの時代に救い主は来てくださいました。救いに至る神の言葉がすでに与えられていたのです。

使徒行伝 13章27〜41節     2013年6月14日

このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。(38〜39)

 パウロはイエスが約束された救い主として来てくださったことを語った後に、このお方をエルサレムの指導者たちは拒み、殺してしまったことについて話します。それも預言者の語っていた通りでした。けれども、神は、また聖書に約束されていた通りに、主イエスを死人の中からよみがえらせてくださったのでした。
 そして、この主イエスの死と復活によって、私たちのために罪のゆるしの福音が宣言されています。モーセに与えられた律法は確かに、神の喜ばれる正しい生き方を指し示していましたが、律法は、私たちが神の御旨からいかに外れているかを指し示すばかりで、私たちを義とすることはできなかったからです。しかし、この主イエスによって救いの道が開かれました。「信じる者はもれなく、イエスによって義とされる」という道、神の恵みによる救いの道でした。

使徒行伝 13章42〜52節     2013年6月15日

異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。(48)

 話が終わって二人が会堂から出ようとしていた時、人々はパウロたちに次の安息日にも同じ話をしてほしいと願い出ました。また大勢のユダヤ人やユダヤ教への改宗者たちがもっと話を聞きたいとパウロたちについてきたので、パウロは、神の恵みにとどまるようにと勧めました。
 次の安息日には、さらにすばらしいことが起こりました。「ほとんど全市をあげて」人々が神の言を聞きに集まってきたのです。しかし、信じないユダヤ人たちは、パウロをねたみ、彼の語ることに口汚く反対しました。
 パウロは主イエスを拒むユダヤ人たち、そして主イエスを求め、恵みの言を聞こうとする異邦人たちを見て、旧約聖書の約束を思い起こし、神が異邦人に救いの道を開いておられるのを強く感じます。
 その町で多くの異邦人たちが主イエスを信じ、神の言葉が広がって行きます。しかし多くのユダヤ人たちは心を頑なにして二人をその地方から追い出したのでした。



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