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使徒行伝 11章1〜18節     2013年6月4日

人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。(16)

 異邦人たちが、ユダヤ教に改宗することなく、つまり、割礼を受けていないままで神の言を受け入れたというニュースは、大きな驚きをもってエルサレムに伝わりました。そこでキリスト者の中でも律法に対して厳格な態度をとる人々はペテロに対して説明を求めます。ペテロが異邦人の所に行ってその家に入り、一緒に食事をしたということを問題視したのです。
 もっとも、ペテロも同じように考えていました。ペテロは自分の身に起こったことを順序正しく説明します。神がどのように自分に語られたのか、またカイザリヤに住む一人の神を敬う異邦人に語られたのか、そして自分がそこで福音を語った時にどのようなことが起こったのか・・・。
 ペテロの話を聞いていた人たちは、確かにそこに神が働いておられたのを知り、心から神を賛美したのでした。どのように救いを与えられるのか、神は教会を一歩一歩正しい理解に導こうとしておられました。

使徒行伝 11章19〜26節     2013年6月5日

このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。(26)

 ステパノの殉教に始まった教会に対する迫害によって散らされた人々は、またさらに遠くに散っていきました。最初はキリスト者たちはユダヤ人、またはユダヤ教に改宗した人々にしか福音を語っていませんでした。しかし、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいました。クプロと言えばバルナバの出身地でしたし、またクレネと言えば、十字架を無理やり負わされたクレネ人シモンのことを思い起こします。このクプロ人とクレネ人がアンテオケの町でギリシャ人たちに主イエスの福音を伝えたところ、信じて主に帰依する人々が次々に起こされていったのでした。まさに「主のみ手が彼らと共にあった」からです。
 アンテオケに主を信じる群ができてきたことを聞いたエルサレム教会はバルナバをアンテオケに遣わします。またバルナバはサウロを捜しだし、連れてきてチームでアンテオケ教会の人々を指導します。主イエスを信じる人々が「クリスチャン」と呼ばれるようになったのは、このアンテオケの町が最初でした。まさに彼らの生活が、言葉がキリストを証ししていたのでしょうね。

使徒行伝 11章27〜30節     2013年6月6日

そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。(29)

 エルサレムからアンテオケに下って来た預言者たちのひとりでアガポという人が世界中に大飢饉が起こるという預言をしました。そしてそのことがクラウデオ帝の治世(紀元四一〜五四年)に起こったのでした。その時、アンテオケ教会の人々はユダヤにいるクリスチャンたちが非常に厳しい状況の中にあるという情報を得たのでした。そこでアンテオケの教会の人たちはエルサレムの教会を援助したいという願いを持ちました。
 一つには純粋に困難の中にある主にある兄弟姉妹を援助したいという思いがあったでしょうし、またもう一つには自分たちはエルサレム教会の信仰や祈りによってこれまでも支えられてきたという感謝の思いがあったことでしょう。彼らはそのことを強制されてしたのではありません。それは彼らの自発的な愛の業でした。彼らはそれぞれの力に応じてそのことをしたのです。
 そしてアンテオケの教会の弟子たちは祈りをもってその献金をバルナバとサウロに託します。まさに献金と共にアンテオケ教会の愛を届けたのです。紀元四六年頃のことと言われています。


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