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使徒行伝 8章1〜8節     2013年5月18日

さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。(4)

 ステパノは議会の中で語り始めます。アブラハムは、ユダヤ人たちが「父祖」として愛し慕っていた人物です。けれどもアブラハムが最初に主の御声を聞いたのは、彼がまだメソポタミヤにいた時でした。アブラハムはそこで、栄光の神と出会い、そのお言葉を聞いたのです。そして神はアブラハムをイスラエルの地に導かれました。しかし、実際には、アブラハムには土地は与えられず、アブラハムに与えられたのはただ、神の約束でした。そしてアブラハムはその神からの約束をその子ヤコブへ、そして十二人の孫たちへと手渡して言ったのです。
この七章の長いステパノの説教の中でステパノがまず繰り返し語ろうとしているのは、聖書の神は世界の神であって、エルサレムの神殿がなければ語ることができないとか、礼拝できないという方ではない、ということです。いわゆるギリシャ語を語るディアスポラ(離散)のユダヤ人の一人だったから、なおさらそのことを感じていたのかもしれません。 

使徒行伝 8章9〜13節     2013年5月19日

ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。(12)

 サマリヤの町の人々はユダヤ人とはあまりつきあいがありませんでした。主イエスもサマリヤ地方を通られたことがありますが、サマリヤの人々は必ずしも主イエスを歓迎しなかったようです。そのような町にピリポは入って行き、主イエスのことを宣べ伝えます。ある意味、ピリポが離散のユダヤ人の背景を持っていて、サマリヤの人たちと関わるのにわだかまりがあまりなかったのかもしれません。
 サマリヤの人たちは、ピリポが来る前まで、魔術師シモンについて歩いていました。シモンが魔術を行って、人々を驚かし、また自分がさも偉い者であるかのように言いふらしていたからです。人々はシモンのことを神の力が働いている、と言いました。シモンの魔術がどこまで種があるものであったのか、または悪霊の働きを借りていたのかは分かりません。しかし、シモンは自分が決して、人々が言うようなものでないことも知っていました。シモン自身もピリポと出会って、主イエスを信じたのでした。

使徒行伝 8章14〜25節     2013年5月20日

神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。(20〜22)

 サマリヤの町で多くの人たちが神の言を受け入れ、主イエスを信じたというニュースが届いた時、エルサレムの教会はペテロとヨハネをサマリヤに派遣します。ペテロとヨハネが手をサマリヤの人たちの上に置いたとき、聖霊がサマリヤの人たちの上にも与えられました。
 その様子を見ていた元魔術師シモンは、お金を持ってきて、自分にもそのような力を与えていただきたい、と使徒たちに願います。しかし、彼の中にお金で賜物を買い取り、その力をいただいて、自分もまた以前のように人々を驚かし、また人々の賞賛を得たいという下心を見たペテロは、彼を叱りつけて、悔い改めるように強く迫ったのでした。
 私たちも、主イエスを信じて罪赦され、神の子とされてからも、古い価値観や行動基準、自分が賞賛を得ようとするような肉的な自我が私たちの心や言葉や行動を支配していることがあります。そのことに気づくことができたとしたら、それは大きな神の憐れみです。悔い改めて神の恵みの中にとどまりたいと思います。 

使徒行伝 8章26〜35節     2013年5月21日

しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。そこで、彼は立って出かけた。(26〜27)

 ピリポのサマリヤ伝道は大きな祝福をいただき、そしてエルサレムから遣わされてきたペテロとヨハネはサマリヤの教会の歩みのために大きな助けになりました。しかし、ペテロとヨハネはやがてエルサレムに帰って行きます。さあ、これからピリポはさらにこの新しく生まれた教会を立て上げていかなければなりません。働きの門は広く開かれているように見えます。
 しかし、その時に、主の使いがピリポに、「エルサレムからガザに下る道に行け」とおっしゃるのです。そこは町ではありません。荒れ果てて寂しい道です。そんなところに行ってどうしろというのでしょう。けれども、主の言を聞いたピリポは黙って主の言に従います。するとそこにエルサレムから自分の国に帰って行くエチオピアの宦官に出会ったのでした。彼は聖書を読んでおり、明らかに助けを必要としていました。主はピリポのために大切な働きを備えておられたのです。 

使徒行伝 8章36〜40節     2013年5月22日

ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。(39)

 宦官は主イエスがイザヤの預言していた神のしもべ・救い主であることを知りました。自分の罪がゆるされるために主イエスが私たちの罪を負って死んでくださったことを彼は信じました。ピリポは彼に罪を悔い改めてバプテスマを受けるようにと勧めたのでしょう。道を行くなかで水を見つけた宦官は、ここでバプテスマを受けたいと申し出ます。もっと理解してから、もっと信仰の実践をしてから、まだまだ自分はだめだ、資格がないというのではなく、彼は主イエスを救い主として信じ、信仰をもって生きていく決断をしたのです。ピリポも心から信じるならっしつかえありません、と答えます。
 宦官はそこでピリポからバプテスマを受けたのでした。しかし、そこで主はピリポをまた次の働き場へと移されました。ピリポは姿を消します。しかしこのエチオピアの宦官は喜びをもって旅を続けます。自分が主イエスを信じ、そこでバプテスマを受けたことは確かなことだったからです。 


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